私がオバさんになっても





【CASE1】

「何歳からオバさんになると思います?」
 使徒の襲来もない平時の午後。発令所内でコーヒーを飲みながら休憩していたところ突然マヤが言い出して、日向と青葉は顔を見合わせた。
「そりゃやっぱり、さんじゅ――」
 当然のように口にしかけて、慌てて青葉は言葉を呑み込み、周囲を見回す。日向が身振りでセーフ、セーフと伝えた。そもそも今この場に直属の上司達がいないからこそマヤも危険な質問を繰り出せたのである。
「よかったぁ、寿命が縮まるかと……」
「でもマヤちゃん、何だっていきなりそんなこと」
「今朝、駅で女の子の落とし物を拾ってあげて、『ありがとう、お姉ちゃん』って礼を言われたんです。でもその子と別れた後でふと、いつまでお姉ちゃんと言ってもらえるのかなぁって考えて……」
「確かに微妙な問題だな……」
 男二人も我が身に置き換えて考えてみる。今はまだ、お兄ちゃんと呼んでもらえる年代だろう。子供にオジさん呼ばわりされてお兄さんだと反論しても、そう見苦しくはない範疇なはずだ。だがいずれは甘んじて受け入れなければならない時が来る。その時自分は笑顔でいられるのだろうか。マヤと同様、彼らも考えれば考えるほど虚無的になっていった。
「……まぁ、でも、結局のところは人それぞれだよ。一概には言えないさ」
 日向がそう主張したのは決して強がりだけではなく、年齢が全てを左右するものではないと自らの体験から知っているせいだろう。表情から読み取られたりしないよう、眼鏡を掛け直すふりをしながら語る。
「多少歳を取っていても魅力的な人は魅力的だしね」
「だな。間違ってもオジさんオバさんなんて呼べない人はたくさんいるし」
 青葉が列挙していく俳優、女優の名は、他の二人も深々と頷かせるほど説得力に満ちていた。
「要はどう美しく歳を重ねるかですね。よしっ、今日も仕事頑張ります!」
 活き活きとマヤが宣言すると、日向も青葉もつられて笑顔がはじけた。ちょうど休憩も終わったのでそれぞれ仕事に舞い戻る。励んだ先には明るい未来が繋がっていると信じて。





【CASE2】

「お酒、弱くなったかしら……」
 ビールをあおりながら寝た帰り、加持の肩に掴まっていてなおふらつく足取りにミサトは零す。
「もしかしてオバさんになったってこと?」
「仕事で疲れているんだろ」
 葛城がオバさんなら俺はとうにオジさんだ。そう言って笑ってみせるが彼女の側には笑顔はない。
「加持君……」
 人気のない通りに二対の足音が響く。
「結婚しないの?」
「また唐突だな」
 相変わらずミサトは笑うことなく、同じ質問を繰り返す。
「結婚しないの?」
「君と?」
「私以外と」
 加持からも作り笑いが消え、口元だけのシニカルな笑みに変わる。
「葛城と結婚するって選択肢は駄目なのか?」
「私じゃ駄目よ……」
 するりと肩から手を外し、ミサトは彼の前に回って力なく微笑んだ。
「私じゃ加持君を止められない」
「葛城……」
 街灯に淡く照らされた表情の美しさと儚さに、そして言葉の意味するところに加持は息を呑む。瞬間、彼女を腕に抱いて遥か遠い地へ行きたくなった。
「俺は葛城じゃなければ……」
「私は抑えにならない」
 ミサトは背を向け、まだ覚束ない足取りながらも歩き出す。
「私は加持君の気を変えられる女になれない」
 引きずられるように付いて歩きながら加持は背中から目が離せない。
「平凡な生活もいいなと思わせてくれる女を見つけなさいよ」
「俺は……」
「私じゃ無理だから……」
 このまま彼女を攫っていきたかった。どこまでもどこまでも連れて行きたかった。そうすれば平凡な生活は無理でも彼女と一緒にはいられるのだから。それでかまわないと思った。今この瞬間は、心から。
 ミサトは振り返らない。加持も彼女の前に回り込めない。隣に並ぶことも、触れることも。したいのに出来ない。
「俺は……」
 辛うじて口は動いた。
「俺は結婚するなら葛城がいいな」
 返事はない。
「一緒に歳を取るなら、葛城がいい」
 涸れたはずの涙が出そうになった。目の前を歩く背中が小さく震えた。
「葛城がいいな……」
 後は二対の足音だけが響いた。
 二人で歩いた最後の夜。



 ――もし、もう一度会えることがあったら……八年前に言えなかった言葉を……





【CASE3】

 街で彼女と出会ったことがある。僕は散歩の途中。彼女はスーパーに日用品を買いに行く途中。暇を持て余していたところだし、せっかくだから付いて行きたいという申し出は幸いにも断られずに済んだ。本当を言えば、会えないだろうかという期待でそこまで足を延ばしていたものだから嬉しかった。
 休日なのに彼女は制服姿で、何故私服じゃないのかと尋ねたら逆に何故制服じゃ駄目なのかと問い返されて、答えることが出来なかった。私服姿が見たいんだとでも言えていたら格好がついたのに。
 確か歯磨き粉や洗剤を買っていたと思う。美味しそうな惣菜を見かけたので薦めてみたら、それも籠に入れてくれた。有線放送だったのか、あるいは店長か誰かの趣味だったのか、昔の曲がずっと流れていた。知っている曲もあれば知らない曲もあって、無口な彼女との会話の接ぎ穂に役立ってくれた。
 買い物が終わってスーパーを出て、後は帰るだけかと寂しく思った時、不意に彼女がこう漏らした。
『私はオバさんになれないの』
 あまりに唐突で、何のことか最初は分からなかった。少し経って、店内で聴いたフレーズが甦った。
『そうだね、厚かましいオバさんになったところは想像出来ないや』
 冗談に冗談で応じただけのつもりだった。でもよく見ると瞳に浮かんでいたのはそんな軽い色じゃなくて、何だかとても嫌な胸騒ぎに駆られた。
『ごめん、ふざけてしまって――』
『いいの』
 かえって彼女の方が申し訳なさそうにした。
『何でもないの。ごめんなさい』
『でも……』
『忘れてくれていいから』
 忘れてほしいとお願いされているようで。気になって仕方がなかったけれど、追及したら辛い思いをさせてしまいそうで。何も聞けなくなった代わりに、手が触れそうなくらい近い距離に並んで歩いてみた。嫌がられはしなかった。
 僕の行為は少しでも慰めになったんだろうか。

 彼女が本当は何が言いたかったのかは分からない。汲み取れるほど当時の僕は彼女を深くは知らなかったし、今も推量するしかない。僕に何が出来たのかも分からない。情けなさは今も変わっていない。
 ただ、あの時は頭がいっぱいでとても考える余裕もなかったことを、今は想像して楽しみ、そして心から思う。
「君がオバさんになったところも見たかったよ……」





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 テレビドラマ「臨場」の六月三日放送分を少しだけ観ました。三十代の女性に焦点を当てた回だったことからタイトルの歌が想起され、エヴァのキャラとくっつけてみたところ話が降ってきました。唯一加持とミサトの話は、以前から構想だけぼんやりと考えていたものです。今回キーワードを得ることによって一気に組み上げることが出来て、自分でも驚くとともに嬉しく思っています。
 生と死がすぐ隣同士にある世界、死に侵食されつつある世界……そんなエヴァの世界観自体がとても好きなのだと、あらためて身にしみて感じました。





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