ユイのサルベージ計画は、冬月と赤木ナオコ博士によって進められていた。未知の領域なだけに手探りの状態が続き、難航しているらしい。私の記憶にある通りに。
 手助け出来ることは多くない。研究者、技術者としては私は遠く二人に及ばない。作業効率が上がるように予算や設備を整えてやるくらいしか出来なかった。
 しかし業務以外では私がすべきことは多々ある。
 例えば――



「こうしてももたろうは、わるいオニをたいじするために、おにがしまへむかいました」

 夜。枕元で絵本を読む。シンジは眠そうな様子も見せず、じっと聞いている。床の上に直に座ったレイが、その頭を撫でてやっていた。
 この世界の半月前の私なら、おそらく一笑に付した有り様だ。夜半過ぎに帰ってきてはシンジの顔も見ずに就寝する――そんなことがざらだった。子育てらしい子育てなどした覚えがない。全てユイに任せきりで、そのユイがいなくなるとさっさと他家に預け、以後は気に留めはしても気に掛けはしなかった。
 ……よくもそんな真似が出来たと、今は思う。

「いぬがいいました。『そのきびだんごを、くださいな』」

 元々シンジは子供部屋で寝起きをしていたのだが、ユイの消えたあの日以来、一人で寝るのを嫌がり、私達夫婦の部屋で寝るようになった。安易な心理学用語など用いる気はないが、心に小さからぬ傷が出来ているのは想像に難くない。

「いぬをおともにしたももたろうは――」
「とうさん」

 抑揚の欠けた声に顔を上げる。

「それ、めでたしめでたしになる?」

 私を見つめる瞳に感情は窺えない。ぽっかりと開いた黒い穴のようだった。レイが気遣わしげに眉を曇らせる。
 シンジは時々こんな質問を投げ掛けてくる。一足飛びに結末を知りたがる。物語が楽しみだから聞いているのではなく、何らかの安心感が得たいから聞いている、そんなふうに感じられた。確かユイが気にしていた様子はなかったので、おそらく最近生じた癖なのだろう。
 原因は考えるまでもなかった。

「……あぁ、なるぞ」
「ほんと?」
「本当だ」
「よかったぁ」

 ようやく顔に笑みが浮かんだ。
 不安の解消で眠気が呼び込まれたのか、読み聞かせを再開させて程なくシンジはうつらうつらとし、「めでたしめでたし」に辿り着く前に寝息を立て始めた。暑がって跳ね除けていたタオルケットを掛け直してやる。レイがその上からポンポンと、母親のような手付きで軽く胸を叩いた。シンジはまるで気付かず眠り続けている。
 あどけないその寝顔を、私達はしばらくの間黙って眺めた。





贖罪 〜彼の歩む道〜

episode 1





「……完全に託児所だな」

 所長室に入ってくるや冬月が嫌味を口にするのが恒例になりつつあった。床の上には積み木やミニカーが散らばり、遊んだ本人は大の字になって夢の中。反論の余地はない。
 サルベージ計画の進捗状況報告と察し、顎をしゃくって隣室へといざなう。寝ているとはいえシンジの前でこの話をしたくなかった。レイも私達と一緒に部屋を移ってくる。

「中間報告書だ、目を通しておいてくれ。それとこちらは予算の申請書だ」

 ざっと読み、必要な箇所にサインをする。その間にも冬月は机の向こう側で何度となく溜息をついていた。

「……疲れているのではないか?」

 少しやつれた感がある。連日徹夜で作業していて、休むように勧めても聞かない――という部下の心配する声が、私の耳にも入っていた。しかし冬月はただ皮肉げに口の端を歪める。

「気遣いには及ばん。自己管理は出来ている。その範囲内で私は作業を進めるまでだ」

 当てこすりをされていることには気付いたが黙っておいた。冬月の目には私が苛立たしく映っていても仕方がない。
 私と離れることをシンジは極度に嫌がる。少し視界から消えただけで病的なまでに泣き叫ぶ。保育園に預けることもハウスキーパーに託すことも諦めざるを得なくて、毎日ゲヒルンへ連れてきている始末だ。さすがに遊び相手までは悠長に務めず、持ってきた玩具で一人遊びをさせているのだが、仕事に支障が全く出ていないわけではない。そもそも場違いな子供の声を響かせている時点で、冬月達の神経を尖らせてしまっているだろう。
 引け目を感じながら事務的な質問を口に上せる。

「計画要綱の完成までに、あとどれくらいかかりそうだ?」
「……最低でも一ヶ月だな」
「そうか……」

 私が元々いた世界と同じか。今のところ大筋では何も変わっていない。
 ならばユイのサルベージも、同じ結果に終わるのだろうか……。

       「分からない」

 暗澹とした気持ちに包まれる私に、レイが率直な言葉を放ってくる。

       「あなたが現れた時点で、歴史の流れは同一ではなくなっている。
        この先、どんな変化が起きてもおかしくはない。
        でも結局は、大して変えられないかもしれない。
        ……私にも、分からない」

 私を導いたお前でもか。

       「私は、神ではないから……」

 身も蓋もない言い様だな。
 要はなるようにしかならないということか。

       「副司令に打ち明けてみる?」

 いや、言ったところで信じまい。ユイを失ったショックでどうかしてしまったと思われるだけで終わりだろう。
 それに信じてもらえたとしてもサルベージの成否には――

「……かり。おい、碇。聞いているのか?」
「あ、あぁ。何だ、冬月?」
「委員会への報告の件だ。連中にはどう――」

 壁を隔てた向こうで激しい泣き声が上がる。いかん、目を覚ましたのか。
 話を中断して慌てて所長室へ駆け戻る。床の上に半身を起こしたシンジがタオルケットを抱きしめながら、涙交じりに私を呼んでいた。

「シンジ、ここだ! 私はここにいるぞ!」
「ふぇ……とうさん……とうさぁん……」

 ぐしゃぐしゃに濡れた顔が振り返り、短い両腕を伸ばしてくる。鼻水がつくことに躊躇を覚えたが、どうせ白衣なのだからと意を決し、軽い体を抱き上げる。私の肩に顔を埋めてシンジはひしとしがみ付いてきた。

「とうさぁん……」
「……ここにいる」

 背を叩きながら揺すってやると、安心したのか徐々に落ち着きを取り戻していった。

「仕事にならんな」

 レイに続く形で歩いてきた冬月が苦々しげに呟く。さすがにばつが悪かった。

「すまん、続きはまた今度だ。委員会の件はこちらで何とかする。心配いらん」
「まぁ、やるべきことさえやってくれればいいがな」

 腹立ちを含んだ険のある眼差しが、私達に向けられているうちに少しだけ光を和らげる。

「……まさかお前が、短期間でこうも変わるとはな」

 やがて冬月は出て行き、シンジもようやく泣きやんだ。
 再び積み木を手に取って遊び出す様を、レイが優しい表情で見守る。私は私で机に戻り、仕事に掛かった。

「これがねぇ、ぼくのおしろ。でもってこれが、ぼくのくるま」

 ちらりと見ると、積み木の山の脇に得意げにミニカーを置いていた。誰に似たのか「しろ」のデザインセンスはあまりない。

「とうさんはなにがほしい? ぼく、つくってあげる」
「……では、別荘でも建ててくれ」
「うん!」

 シンジは張り切って積み木を重ねていく。すぐ横にいるレイには要望を聞こうとしない。視線を向けたことさえ一度もない。
 薄い青の髪、ユイに酷似した顔立ち、第壱中学校の制服。私にとっては見慣れたその姿が、シンジや冬月の目には全く映らないようだった。声も聞こえず、手で触れられても気付かない。他の人間には関知されない幽霊みたいなものだと本人は語った。
 私に時を越えさせたのは、このレイだった。

       『……私は、小説というものをほとんど読んだことがない』

 理由を尋ねると、淡々とした表情でそう述べた。

       『ハッピーエンドは所詮作り物にしか思えなかったから。
        アンハッピーエンドも嫌だった。
        創作の中でまで救いのない世界に触れたくなかったから』

 レイは私の心が読める。しかし逆は成り立たない。私にレイの心は読めない。
 リリスと融合したためか口調や雰囲気は少し変わっていて、以前は感じなかったような隔たりを、レイとの間に時折感じる。
 それでも私が彼女を“レイ”と認識するのは、

       『……だけど』

 例えばこの時の――決然とした眼差しのため。

       『ハッピーエンドが見られるものなら、私は見たい』

 そうして私達はここにいる――。





 何も知らずに無邪気にシンジが遊んでいる。レイが微笑みながらそれを見守る。仲のいい姉弟のようだった。
 郷愁にも似た想いが私の胸に満ちていく。

『……まさかお前が、短期間でこうも変わるとはな……』

 ……短期間ではない。十年以上だ。十年以上もかかったのだ、冬月。
 それだけの時間をかけて、ようやく少し変われたのだ。

 ここにユイもいてくれたらどんなにいいだろう。
 シンジと、レイと、ユイと、私と。
 四人で……一緒に……。





 だがサルベージは、この世界でも失敗に終わった。







 ――決めてくれた?



 それは遠い日の会話。
 幸福の象徴に繋がる記憶。



 ――男だったらシンジ。


 ――女だったら……





「……レイ」

 LCLの中の小さな体。
 無心に私を見つめる赤い瞳。

「お前の名前は、レイだ」

 意味は分かっていないだろう。宿ったばかりの魂は、まだそこまでの知能は備えていない。
 だがレイはきょとんと瞬きをした後、嬉しそうに笑みこぼれた。

「……これは、お前にとっては希望か?」

 冬月が疲労で掠れた声を吐く。ガラスに映る顔は憔悴しきっていた。

「私にしてみれば絶望の産物にすぎんよ……」

 何も答えないまま私は部屋の出口へ足を向ける。冬月も無言で続いた。ターミナルドグマの暗い通路をしばらく進んでから、半ば自分自身に言い聞かせるようにして口を開く。

「……ユイは戻ってこなかった。それが我々に突き付けられた答えだ」
「彼女は偉大な人だ。未来を見据えていた。私もお前も息子も振り切り、先へ進んでしまったのだ」

 冬月の嘆きには捨て鉢な響きが含まれている。私も虚無感に包まれていた。音もなく傍らを歩くレイが、こちらを窺っている気配がする。だがユイに似た面差しを見るのが辛くて目を合わせられなかった。
 初号機にその身を変えてからのユイをよく知っている。何度となくシンジを護った。私の呼び掛けには応えずともシンジだけは必ず護った。我が子のため、彼女は自らの意思で初号機と同化した――漠然とではあったがそんな推量が胸にあったため、またしてもサルベージが失敗したことは驚きをもたらすものではなかった。やはりそうなったかという思いもある。しかし、もしかしたらという望みをかけていなかったわけではない。
 ユイにはユイの考えがあったろう。だが残された者はどうすればいい? もっと別の方法はなかったのか? 私達が何も失わずに済む道は……。
 ドグマまで連れて下りるわけにもいかず、ここに来る前にシンジは医務室へと預けてきた。すぐに戻ると言い含めても、激しく泣いて抵抗したシンジ。あれからずっと泣き続けて、やがて疲れて寝たのだろうか。

       「……残ればよかったかしら」

 レイが暗い調子で独りごちる。だが傍にいたところでシンジの目には見えないのだから、慰めになったとは思えない。魂を宿したばかりの幼い自分を気にし、迷った末に我々と一緒に来たのを悔いる必要はないだろう。
 レイ。シンジ。二人に対して私は責任がある。今度こそ幸せにしてやらねばなるまい。いずれエヴァに乗ってもらうことは避けられないとしても、苦難を埋めて余りあるほどの幸福を用意してやるのだ。それが私に出来るせめてもの償い。
 しかし幸せにすると言いはしても……一体どうすればいいのだろうな。私はそんな生き方などしてきたことがないのだ……。

       「普通にしていればいいのよ」

 レイがユイのような口振りで語り掛けてくる。
 普通に、か。

       「あなたの真心を注いであげればいいの。
        きっと想いは二人に伝わる」

 だといいがな……。
 ちょうどそこへ冬月も、私とレイの対話など知る由もないのに関連した質問を投げ掛けてくる。

「お前がレイと名付けたあれは、どうするつもりだ?」

 悲嘆は一旦しまい込めたのか、硬いながらも口調に冷静さが戻っていた。

「エヴァとの親和性は見込める。パイロットとしての利用は可能と思うが」
「そうだな……」

 相槌を打ちつつも冬月の言い方に抵抗を覚える。他人の言葉として聞くと如何に非道な行為かがよく分かった。
 人形ではない――その通りだ。

「……もっと状態が安定し、外で生活させても支障がなくなったら私の家で育てる」
「お前の家で? 息子一人でも苦労しているのにか?」

 呆れ交じりに聞き返され、レイも隣でくすりと笑った。些か面白くなくて肩を怒らせる。

「その頃にはシンジも今より大きくなっている。何とかなる」
「素性についてはどう説明するのだ? ユイ君の親戚とでも? 上手く言ってやらんで、将来結婚したいなどと騒がれても知らんぞ」

 ――思わず、足を止める。冬月にとってはただの冗談だったろうそれが私の胸に波紋を生んだ。
 思考が目まぐるしく駆け巡る。「碇?」との不審そうな呼び掛けがどこか遠い。私の心を読めるレイが焦った様子で詰め寄ってくる。しかしそれも半ば意識の外だった。

「おい、いか――」
「それだ冬月ぃぃぃっ!!」
「うわっ! 何だ何だ!?」

 ガシッと両肩を掴まれた冬月が慌てふためく。ふゆつきぃ、ゆつきぃ、つきぃ……と漂う残響が心地よく耳をくすぐった。

「シンジとレイの結婚! それだ! ナイスアイディアだぞ、冬月! さすが盟友! 心の友!」

       「何を口走ってるの……?」

「二人を幸せにしてやる最高のプランじゃないか! その手があったとは気付かなかった! それで行こう!」
「いや、おい……」

       「血迷ってるんじゃないわよ……」

「血迷ってなどいない! 私は至って正常で――」
「ちょ、ちょっと待て、碇。落ち着け、落ち着いて話そう、な?」

 私の腕を無理やり引き剥がし、乱れた襟を整えながら冬月が咳払いをする。

「……あのレイとお前の息子を結婚させるだと?」
「そうだ」
「馬鹿を言うな」

 冷ややか極まりない一刀両断。横でレイもこくこく頷く。

「あれは人間ではないのだぞ?」
「だからどうした」
「問題がありすぎだろうっ! 百歩譲ってあれをヒトクローンということにしても、基となった遺伝子情報はユイ君のもの、お前の息子とは近親だ」

       「そうそう」

「直接の血の繋がりはなくとも、遺伝子的には親子か兄妹と言っていい」

       「私も一度は『碇君と一緒になりたい』と思ったけど、やっぱり色々とまずいのよ。
        『LRSって近親相姦じゃん。キモッ』との謗りは免れないの」

「生物学的にも倫理的にも賛成出来ん。全く、何を言い出すかと思えば……」

       「この世界はあくまで本編系。
        私が普通の人間設定な学園エヴァじゃないから」

「息子のためにも、一刻も早くその考えは捨てろ。いいな?」

       「じゃあ、そういうことだから」

 一部よく分からない単語を交えつつ説得の言葉を連ねるだけ連ねると、二人は揃って私に背を向け、すたすた歩き出す。付き合っていられないと態度で語っていた。
 遠ざかっていく背中。聞こえるような声でボソリと呟く。

「――ユイそっくりの子が生まれるだろうな」

 革靴でブレーキ音を立てて止まる冬月。反応の顕著さにレイがうろたえる。

「ユイの面影を残すシンジと、生き写しのレイ。さぞや可愛い子が生まれるだろう。見たいと思わないか、冬月?」
「そ、それは……」

 後ろで組んだ手が小さくわなないている。くくっ、葛藤している葛藤している。早く行こうとばかりにレイがその腕を引っ張っているが勿論気付かれてさえいない。
 私の口元が邪悪に歪み、舌はますます滑らかに動く。

「医学的な問題は我々の科学力をもってすれば解決可能」

       「鬼、悪魔、人でなしっ」

「本人達さえ遺伝子上の繋がりを知らなければ済む話。そして情報操作や偽造やでっち上げは私の十八番だ。何の心配がある?」

       「非道な行為は改めたんじゃなかったのっ?」

 レイの――紛らわしい、こっちはリリスレイと呼ぼう――声高な非難は完全無視。お前は黙っていろ。
 抗い難い誘惑を前に、冬月の声が震える。

「人道上許されることでは……」
「ヒトの進化を促してきたのは人道ではない。欲望だ」

       「何を得意げに語ってるのよっ?」

「親として……」
「可愛い花嫁を用意してやることの何が悪い?」

       「私達はあなたの人形じゃない……!」

 冬月は頭を半ば垂れつつ、まだ理性にしがみ付こうとしている。無駄だ。

「御託はいい、二択で答えろ。見たいか見たくないか――どっちだ冬月ぃ!?」
「み……見たい……っ!!」

 魂の叫び。冬月陥落。最初からそう言えばいいものを。
 手間取らせた割に奴の復活は早かった。膝をついて己を恥じていたかと思ったら、「となれば、だ」とやにわに立ち上がる。

「レイの肉体の安定化が急務だな。今のままではいつLCLに還ってもおかしくないぞ」
「かといって、無理をすれば体に負担が掛かる」
「いや、実は先日、学会で興味深い発表があってな」

 たちまち熱い討議が始まる。今現在医務室で待っているシンジのことは、指摘されるまですっかり忘れ去っていた。
 そんな我々にリリスレイが、地獄の底から響くような低い低い声で一言感想を述べてくれた。

       「気持ち悪い……」



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 はい、ギャグ話なんです、これ。シリアスに見えた部分もあったかもしれませんが全て気のせい、もしくは幻覚です。初期設定のラフ画か何かで、ギレン・ザビばりに「起てよ、エヴァンゲリオン!」とか言っているゲンドウを見たことがありまして、そのイメージで書いています。
 終盤の展開は大体考えてあるものの、そこに至るまでの過程はあまり固めていません。ガチガチにプロットを固めるよりも、勢い任せの方がノリが良くなりそうなので。途中で詰まったら……その時考えます(笑)。
 逆行物とはいえ飛ばせる部分は飛ばしていくため、それほどの大長編にはならないはずです。多分。
 「ゲンドウ(笑)」と楽しんでいただけるよう頑張りますので、よろしければどうぞお付き合いください!





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