SFに興味を持った時期がある。空想の世界に触れて人並みに心を躍らせた。
 当時触れた中には時間移動を扱ったものも数多く存在した。

 過去を変えることで未来を変える。
 その題材が多くの人間を惹き付けるのは、誰しも一度は「もしもあの時……」と考えたことがあるからだろう。

 ――もしもあの時、違う行動を取っていたら。

 ――もしもあの時、あんな出来事が起きずにいたら。

 苦い後悔、切実な願い、やり場のない憤り……尽きることのない想い。様々な「もしも」が時を遡るという夢に仮託される。
 だがフィクションとて、そうそう物事は上手く運ばない。主人公の行動自体が歴史に織り込み済みだったという作品もあるし、歴史上の重要人物を殺しても他の人物が代わりを務めるため、大きな流れは変わらないとした作品もあった。過去を変えることで未来の状況をより悪化させてしまうという、皮肉と悲劇に満ちた作品も知っている。
 どの理論が正解かは分からない。タイムマシンは未だ非現実の道具、真実は確かめようがない。自分が生まれる前の時代に行き親を殺せば、今ここで存在している自分はどうなるのかという有名なパラドックスに、明確な答えは誰にも出せない。
 私にも。

 既知の過去と似て非なるこの世界で、私の関与により本来辿るはずだった歴史から大幅に変更を来したのは、レイがLCLから出た時期とシンジ、レイとの同居。一方で私が関与しても変えられなかったのがレイと赤木ナオコ博士の死。しかし二人の死亡時期自体はずれており、その意味では同一の歴史ではない。
 ならば私が関与していない歴史はどうかというと千差万別だ。

 金融政策での批判による支持率の低迷、与党内でも叫ばれ出す新首相待望論、世論に押される形での辞任。
 首相交代劇はほぼ私の記憶通りの顛末だった。

 日本中を衝撃で包んだ、著名俳優の事故死。
 日付に差異はあったかもしれないが、発生した。

 直線での激しい競り合いの末、万馬券を演出するはずだった馬。
 ハナの差で二着に敗れた。
 十万円すった。

 既に大筋の流れが出来上がっていれば、よほどのことがない限り変動は起きないのか。偶然が引き起こす結果にすぎない事故や事件でも、そこには何かしらの必然が潜んでいるのか。力関係が拮抗している場面ならどちらに転んでもおかしくないのか。
 何が歴史の鍵を握っているのかは分からない。
 世界と世界の壁を越えようとも私は神ではないし、越えさせた者もまた神であることを否定する。
 神ならぬ身に、全てを見通すことなど出来はしない。

 シンジとレイを手元に置いて育てることが、私やネルフ、エヴァ、人類……歴史にどんな影響を及ぼすのか。
 この先一体何が変わり、何が変わらずにいるのか。
 未来は全くの不透明だった。

 だが――





贖罪 〜彼の歩む道〜

episode 5





 私は無言で書斎に佇む。リリスレイもまた隣で無言を保つ。
 同じ光景を見つめ、おそらく今私達は同じことを考えている。

       「……歴史がどう変わっていくのかは分からないけど」

 淡々とした調子でリリスレイが呟く。

       「人はどうとでも変わるものだと思うわね」

「そうだな」

 深く深く同意する。

「私も、自分がこんな人間になるとは思わなかった」

 私達は無言で書棚を仰ぐ。そこにはアルバムと記録映像がずらりと並んでいる。一つの棚全てがシンジとレイにまつわるもの。
 仕事疲れで荒んだ時にはページを繰り、映像を再生した。恥ずかしいからいいかげんに処分してくれと懇願されても出来なかった。
 日付や行事名を見るだけでも思い出は鮮やかに甦る……。



『うわぁぁんっ、サンタさんじゃなくてとうさんがきたーっ!!』
『サンタさんがおじさまにころされたーっ!!』
『待てっ、何故そんな思考に至るっ!? そもそも夜中までこっそり起きていたお前達が悪いのだろう!』



『今度の運動会、私が出る。会議は任せたぞ、冬月』
『馬鹿を言え。お前が出席しなかったらそれこそ非難の嵐だろう。運動会こそ私に任せろ』
『年寄りに保護者参加企画が務まるものか。おとなしく屋内に引き下がっていろ』
『ふん、山歩きで鍛えた足腰をなめるな。不摂生で自堕落な生活を送ってきたどこぞの誰かこそ、子供を巻き込んで恥をかく前に辞退しておけ』

       『低レベルな火花の散らし合いね……』

『リツコさんリツコさん、おべんとう作ってくれる?』
『いいわよ。何が食べたい?』
『ぼく、タコのウインナー!』
『わたし、たまごやき!』



『学習発表会でレイが姫の役をやるそうだ。周りはなかなか見る目がある』
『では張り切っているだろうな。終わるまでは実験の回数を減らすか』
『しかしだ。シンジは村人その二の役だという。――何故だ!? 何故シンジが王子ではない!? 学校に電話して今からでも役の変更を――そうだ、熱い口付けの場面も入れさせて――』
『あー、もしもし、諜報二課か? 馬鹿親というか馬鹿な親を押さえるから少し人を寄越してくれ』



『レイのハーモニクス、安定しているようだな』
『はい、来週にも実験を次の段階へと移行させられそうです。しかしシン君――いえ、シンジ君は如何なさるおつもりですか? チルドレンであることをいつまでも秘しておけるものでは……』
『……分かっている。いずれ機を見て私から話そう』
『まだ水が怖いようですし、言い出しにくいことはお察しいたします』
『やはりここは一つ、私もエントリープラグに入って――』
『技術部を代表して断固お断りさせていただきます』



『父さん、読書感想文の宿題が出たんで、何か本を貸してもらってもいい?』
『ふむ。お前達でも読めそうな本となると……この辺りか』
『……世界の名作少女文学シリーズ?』
『言っておくがユイの本だからな、私ではないぞ』
『じゃあ、こっちの少年探偵団シリーズは?』
『……それは私の本だ』



 父の日に貰った肩叩き券。もったいなくて最後の一枚は使えなかった。
 授業参観で張り切って手を挙げる二人の姿には目を細めた。
 レイがバレンタインデーに初めて作ったケーキ。市販のスポンジにチョコレートを塗っただけだったがやけに美味に感じられた。誕生日に、律儀に私の年齢分のロウソクを刺して作ってくれた時はシンジ共々困り果てたが。
 本当に色々とあった……。

 つとリリスレイが宙に浮かんで、最上段左端のアルバムに手を伸ばす。

       「碇君が小さい頃の写真はこの一冊だけなのね」

「ああ」

 しかも大半はユイが撮った写真。私がカメラを構えたことなど何回あったか。
 二〇〇四年以前と以後の写真の量の違いに、我ながら苦笑を禁じ得ない。まるで別人――実際、別人だ。
 そこまで考えて、ふと、あることに気付く。

「……当時まで“私”であった私は、消えたのか?」

       「あなたの奥底で眠っているわ。
        目覚めさせたい?」

 いとも簡単なことのようにリリスレイは言ってのける。

       「例えるなら、別の世界からやってきたあなたという重しに上に載られて、
        深い場所に沈んでいるだけのようなもの。
        あなたが退けば浮かび上がり、目覚めるわ。
        やってみる?」

「いや、よそう。面倒なことにしかならんだろうからな」

 ユイの消失を知らず、三歳のシンジしか知らず、レイは存在自体を知らない、当時の私。今の時代に甦ったらどれだけ混乱を来すか。
 ただ、と口の端を意地悪く歪ませる。

「この書棚を見たらどんな顔をするかは興味があるな」

       「ああ、それは確かにね」

 リリスレイもクスクスと笑う。想像するだに愉快な事態だった。
 そこへノックとともに書斎のドアが開く。顔を覗かせたのは、三歳時とは比べ物にならないほど背丈が伸びた子供。

「父さん、掃除終わ……ってないね」

 室内をざっと見渡すやシンジの声が低くなって目尻が吊り上がる。
 ……まずい。

「もうっ! 書斎くらいは自分でやるって言ってなかったっけ!? 早くしないと冬月先生とリツコさんが来るよ!? ほら、急ぐ!」

 迫力に圧倒される形で、脇に置いたままだったハンディモップを慌てて手に取る。棚の上を一通り拭くところまで見届けてから、来た時と同じように掃除機を抱えてシンジは出て行った。客間が終わり、おそらく今度は廊下でも一通りやるのだろう。フロアぶち抜きで部屋が多い分、年末大掃除にも時間がかかる。レイはレイで今頃料理に励んでいるはずだ。
 しかし――

「あいつのあの口うるささは誰に似たのだろうな……」

       「ある意味ではあなただと思うわ。
        方向性は全く違うけど」





「――シンジ、エアコンの温度を上げたな」
「設定温度は28度」
「冷房の効いた部屋での鍋は至上の贅沢。お前といえども阻む権利はない」
「この街はネルフのせいで電力消費量が多いんでしょ? まずはトップが節制を心掛けないと」

 私の言い分には耳を貸さず、シンジはリモコンを確保して離そうとしない。くっ、セカンドインパクト後世代はこれだから。ロマンがまるで分かっていない。

       「そうそう。暖房の効いた部屋でアイスを食べるのと同等のロマンよね」

 全くだ。……いや、やったことがあるのか、お前は?
 コタツ型テーブルで寄せ鍋を囲んでの忘年会。鍋もミカンも食べられないながらも、リリスレイもしっかり私の横で参加している。私とシンジが静かに火花を散らしているのに対し、レイ達の方は和やかだった。

「冬月先生、そろそろお燗にする?」
「うむ、頃合いかな。リツコ君はどうする?」
「私はまだビールで。レイのチキンロールにはこっちの方が合うんですよ」
「だが明日のおせちはやはり日本酒だろう? さっき、つい覗いてしまったが、リツコ君と変わらないくらいの出来栄えに見えたぞ。楽しみだ」
「ホント? よかったぁ。これでリツコさん、来年からはお正月も誕生日もクリスマスもうちで過ごさなくても大丈夫かも」
「そういうこと言うのはこの口かしら」
「いひゃいいひゃい、おえんあはい」

 年末年始をゆっくり過ごすなど、ネルフの司令、副司令、E計画責任者という立場を思えば夢のまた夢。ようやく行えた忘年会も、あと四時間もすれば自動的に新年会に移行するという余裕のない日程。明日も初詣が終わればその足で早速仕事始めだ。因果な職業だとぼやきたくなる。
 もっとも保安諜報部の面々は、そんな我々のために各所に詰めて、大晦日も何も関係なしな警備態勢を取っている。今この部屋でガス爆発事故が起きただけで、近い将来人類が滅亡することが決定付けられるようなものなので仕方がないのだが。せめて雰囲気くらいは味わってもらおうと、毎年レイとシンジがざるそばやオードブルを届けに行く。
 仕事仕事掃除で忙しかったが、酒を酌み交わしつつ歌合戦を観ているうちに、一年の終わりを迎えるという感慨が湧いてくる。温かい湯気と弾む会話。季節の概念など変容を遂げて久しいが、年の瀬の情緒はやはりどこか普遍のものだ。リリスレイもしみじみと嘆じる。

       「タイムズスクエアのカウントダウンを見に行ったり、
        イースター島で初日の出を拝んだりもしたけど、
        やっぱり歌合戦・除夜の鐘・富士山の御来光のコンボが最高だと思うの。
        これが日本人のDNAというものかしら」

 ……どこから突っ込めと?
 冬月も何やら回顧に浸る。

「これが今年流行った曲か……全く聴いた覚えがない。歌番組は年末のこれくらいしか観なくなってしまったからなぁ。歌手の曲を最後に買ったのはいつで、誰のものだったか……」
「冬月先生の青春時代のスターって、誰あたりなんだろ。美空ヒバリ?」
「コマドリ姉妹?」
「そこまで古くないぞ……」
「ふん、年寄りが。リツコ君でさえ付いていけないほど大昔の話だろう」
「『でさえ』って何ですか、『でさえ』って」

 三人家族プラス二人、ついでに幽霊一人といった、こんな賑やかさも悪くはない。私は優しい人間などではないが、こうした時間を持てることに感謝する――それくらいのことはしてもいいかと思う。
 この場にユイがいたら、何と言ってくれるのだろうな……。
 ちょうどそこで、別れた相手を想いながら酔いつぶれようとする歌が流れてきて、少し泣けた。

 夜も更けた頃にはすっかり酒も回って、冬月はこくり、こくりと舟を漕ぎ出していた。私も平衡感覚が少し怪しい。つい飲みすぎたか。若いリツコ君は至って元気で、シンジとレイとともに年越しそば作りに取り掛かっていた。
 歌合戦は終盤に進んで演歌が続いている。何十年にもわたって歌い継がれてきた曲ばかりだ。あまりの馴染み深さに、台所には聞こえないよう小声で口ずさんでみる。思いがけずリリスレイも続いた。一度だけ視線を交わしてそのまま私達は歌い続ける。奇妙なデュエットとなった。
 もうすぐ新しい年が始まる。

「あれ、冬月先生、寝ちゃってるんだ」

 新しい燗酒を持ってきたシンジがそっと肩を揺するが、疲れているのか冬月の反応は鈍い。

「ぎりぎりまで寝かせておいた方がいいかな。父さんは月見と天ぷらと山菜のどれにする?」
「全部だ」
「太るよ」

 一笑に付され、軽く鼻を鳴らす真似をして、杯に残った酒をあおる。リリスレイも笑みを浮かべていたが、口に出しては何も言わなかった。
 あ、とシンジが小さく声を上げた。遠くの寺で鐘の突かれる音が聞こえる。見えもしないのに私達の視線はカーテンに覆われた窓に向かった。一瞬、雪と闇のモノクロの世界を幻視する。だが勿論、雪など降っているはずもない。穏やかな呟きを落とすシンジは、窓の向こうにどんな光景を想像するのだろう。

「もうすぐ今年も終わりだね」
「ああ、そうだな……」



 二〇一五年が始まる――。



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 いよいよ次から二〇一五年編です。





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