「総員、第一種戦闘配置」
「了解。総員、第一種戦闘配置!」

 冬月の指示をオペレーターが伝達する。その様子を尻目に席を立ち、リフトで下りる。
 初号機が格納されているケイジ。管制室にはプラグスーツに着替えた状態でシンジが待機していた。

「……ここで映像を見ていたよ。あれが使徒なんだね」
「ああ」
「本当に、ミサイルや爆弾は効かないんだ」
「使徒に対抗し得るのは同じ力を持つエヴァンゲリオンだけだ」

 表面上は淡々とした会話。
 硬い表情でモニターを見つめ、シンジは通常より深く呼吸を繰り返す。無意識にか、手を握り込んでは開いている。


 ――君なら勝てるのかね?


 国連軍のお偉方より投げ掛けられた挑発的な言葉。
 勝てるとは思っている。私以外の力で。

「……終わったら慰労会でもやるか。何が食べたいか考えておけ」
「本当? 楽しみだな」

 作り笑顔でも笑ってくれたことを喜ぶべきか。
 最後に真っ直ぐ私を見つめ、

「――行ってきます」

 シンジはエントリープラグへと向かっていった。





「シンクロ率、62.1%。ハーモニクス、全て正常値」
「発進準備!」

 拘束具が、安全装置が、次々と取り除かれていく。

「内部電源、充電完了」
「外部電源接続、異常なし」
「エヴァ初号機、射出口へ。進路クリアー、オールグリーン」
「発進準備完了」

 了解、と応じて葛城君が私を仰ぐ。

「……よろしいでしょうか?」
「勿論だ」

 覚悟は出来ている。何年も前から。
 唇を真一文字に結んで冬月は無言を保つ。リリスレイは祈るように体の前で両手を組んでいる。

「――発進!」

 初号機がカタパルトで打ち出される。高速でレールを昇り、地上へ。既に日は落ち、闇の中で敵を招き入れた要塞都市に、紫色の巨人が姿を現す。

「最終安全装置、解除! エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ!」

 葛城君の高らかな宣言に応えて踏み出される一歩。使徒は正面でこちらの出方を窺っている。

「シンジ君、パレットライフルで攻撃よ。落ち着いて練習通りにね」
『はい』

 慎重な足取りで初号機が歩を進める。その先には各方面に手を尽くして一つだけ準備の叶った銃器。
 ビルのスライドが開くと同時に中身を掴み取り、素早く構えて発射。練習通りの流れであやまたず弾丸を命中させたが、ダメージらしいダメージは与えられていない。元よりこの程度で倒せるとは思っていない。射撃を続けながら接近し、ATフィールドを中和して一気にコアを――

「よけてっ!」

 使徒の双眸から光線が放たれる。咄嗟に横に跳んで回避した初号機だったが、ビルを突き崩して半ば埋もれた。急いで起き上がろうとするも、使徒も間合いを詰めてくる。銃を構え直したのと頭部を左手で鷲掴みにされたのはほぼ同時だった。
 鋭く腕が横に振られ、初号機がビルへ叩き付けられる。くぐもった悲鳴が上がる。立て直す間もなく、今度は逆の方向へ。衝撃でパレットライフルが手から離れた。

「シンクロ率を45%までカット!」

 リツコ君が急ぎ指示を飛ばす。
 宙に吊られた初号機は、鈍い動きながらも何とかプログナイフを抜こうとした。しかしそれより早く使徒の掌から光が伸び、装甲ごと頭部を打ち据える。二度、三度と響く重い金属音。そのたびに強まる苦悶の声。

「頭蓋前部に亀裂発生!」
「いかんっ!」
「頭部神経接続カット!!」

 冬月が身を乗り出し、葛城君が命じる間にも使徒の攻撃は続く。四度、五度、六度――
 破砕音とともに初号機が吹き飛ぶ。本来の角とは別の、光の角を前後に生やして。背中からビルに激突し、重力への抵抗をまるで見せずにずり落ちる。噴き出した鮮血が滝と化して周囲を染める。一瞬静まり返った人間達の代わりに、機械が発令所中に警告音をがなり立てた。

「頭部破損! 損害不明!」
「制御神経が次々と断線していきます! シンクログラフ反転、パルス逆流!」
「回路遮断、せき止めて! 早くっ!!」
「信号拒絶、受信しません!」
「パイロット、反応なし! 生死不明!」
「初号機、完全に沈黙!」
「パイロット保護を最優先!! プラグを強制射出して!!」
「駄目です、完全に制御不能です!!」



 ……同じだ。以前と。



 広がっていく恐慌と焦燥。死者そのものの様相の初号機。記憶にある光景と同じ。
 変えられなかった。いや、ここまで来たら変わらずにいてもらわなければ……

       「お願い……」

 視界の端でリリスレイがきつく手を握り合わせる。
 とどめを刺すべく、使徒が初号機に近付いていく。

       「ユイさん、碇君を……」

 祈るしかない。それしか出来ない。
 ユイ……頼む、シンジを……

 使徒が初号機のすぐ前に立つ。


 ――ユイっ!!















贖罪 〜彼の歩む道〜

episode 9















 ここだけは静かだった。
 おそらく昼も外界の喧騒から隔絶されていただろう。
 それが歯痒かったに違いないが。

「……痛むか?」

 レイは小さく首を横に振る。
 枕元の淡い照明が、不安に満ちた物問いたげな目顔を映す。

「心配ない。まだ精密検査中だが外傷はないし、精神汚染もなさそうだ」

 張り詰めていた表情がようやく少し和らぐ。昼間に警報を耳にして以来、ずっと一人煩悶していただろうことは想像に難くなかった。

「お前は何も気に掛けなくていい。ゆっくり休め」

 瞳を伏せ、間を置きはしたが頷く。それでいい。今は体を治すことが第一だ。
 再び私に視線を合わせたレイは、唇を動かして微かな声とともに言葉を紡ぐ。
 ――早く行ってあげて。

「――ああ。意識が戻ったら、また一緒に来る」







       「こうしていても仕方ないでしょう。
        寝たら?」

 リリスレイの口調はそっけなかった。

「いや、しかしな……」

 反論を試みて、うるさくしてはまずいと気付き口を噤んだ私に、遠慮なく追い討ちを掛けてくる。

       「どうせあなたに何が出来るわけでもないのだし」

 ……気分の問題だ。
 だが実際、傍でずっと起きていたところで自己満足以上のものにならないのも事実だった。異変が生じれば医師がすぐに駆け付けてくる。私が呼ぶまでもなく。こちらの心配が解消され次第、冬月と交代して全体の指揮を執らねばならないのだから、今のうちに休んでおく方が確かに賢明だった。

       「そうそう、人の意見は素直に聞き入れないとね」

 面白くないものを覚えながらも、病室の隅に用意されていた簡易ベッドを引っ張り出し、寝る準備を始める。聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声が掛かった。

       「……目が覚めたら教えてあげるわよ」

 ……そうしてもらおうか。
 上着を脱いで横たわると、それだけでも体は楽になった。本格的に寝る前に視線を横へ転じる。ベッドの上で眠る子供とその頭を撫でる娘が、窓の外からの微かな灯りの中に浮かぶ。昔の情景が重なった。

       「昔?」

 よくそうして横についていただろう? 私が絵本を読み聞かせて……

       「もう少し感情を込めて読めないものかと思ったわ」

 こちらに顔は向けないまま憎まれ口を叩いてくる。
 あの頃と今夜は少し似ている。もっとも、ピーマンも食べられない子供ではもうないが。

       「懐かしいわね……」

 懐かしいな……。
 過去と今の二人の姿を見ているうちに、いつしか私は眠りに落ちた。





 シンジが目を覚ましたのは私より後。
 戦闘終了から半日以上が経過していた。





「父さん、使徒は……!? どうなったの!?」

 周囲を見回して私の姿を認めてのそれが第一声。

「片付いた。ユイが殲滅してくれた」
「母さん……?」
「お前が気を失った後で目覚めたのだ。意思というよりは本能に近いだろうが――初号機を動かして使徒を倒し、お前を護った。今はまた眠りに就いている」
「そう、なんだ……」

 気の抜けたような返事をして、枕に頭を深く沈める。

「……情けないな。こんなんじゃ母さんもゆっくり休めないよね」
「ユイは好きでお前を護ったのだ。素直にありがたがっておけ」
「うん……。でも本当に助けられたなぁ。母さんがいなかったら僕、負けて……」

 無理に明るく弾ませた声は最後に至り潤んだ。慌てて両手の甲で顔を覆ったシンジだが、一度堰を切った感情は止まらない。静かにすすり泣きが漏れ始める。

「……怖かった……。死ぬかとおも……って……」

 その頭に手を乗せ、軽く叩く。

「よくやってくれた。お前はよくやった、シンジ」

 覗く口元が小さな子供のべそ顔のように歪む。軽く頭を叩く。何度も何度も。すすり泣きは続く。
 シンジを見つめていたリリスレイが、つと憂い顔を私に向ける。

       「……過ぎ去ったものは戻らない」

 ああ……。

       「今周りにいる人を大事にすることで、報いるしかない……」

 分かっている……。
 だが少しの間なら、ここにいない者に思いを馳せてもいいだろう?



 あのシンジも初めての戦いの後は恐怖に震えたのだろうか。どうやってそれを克服したのだろう。少なくとも私が何もしなかったのは確かだ。
 突然呼び出してエヴァに乗せた。都合よく利用しているとの自覚はあったから、最初から弁解はしなかった。許されるはずのないことを謝っても意味がない。媚びて歩み寄っても仕方がない。所詮私は息子すら使い捨てる人間だと開き直っていた。せいぜい憎悪だけは甘んじて受けようと。
 しかし蓋を開けてみれば、時に失望を覚えるくらいには私はシンジに期待を寄せて、シンジも裏切られたと思うくらいには私に望みをかけていた。……馬鹿馬鹿しい話だ。親子という括りはそう簡単には消えなかったのだ、こんな私の上からも。気付いた時には遅かったが。

『今日は嬉しかった――父さんと話せて』

 あのシンジと……どうしてもっと向き合わなかったのか。





 何度も何度も頭に触れる。シンジが落ち着くまで、ずっと。
 リリスレイは黙って見守る。

 私達の胸からあのシンジは消えない。どれだけ時間が経っても、ずっと……。



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 テレビシリーズの時間軸にようやく合流。「ゼロ時間へ」というタイトルの小説がありますが、そんな心境です。





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