今更だが使徒を倒すだけがネルフの仕事ではない。エヴァの修理は勿論、破壊されたビルの修復や情報統制も役目の内だ。委員会に頭を下げて予算を獲得し、ついでに嫌みも大量に貰い、政府に吠えられながら各所に指示を出す。面倒な雑事が続き、出張も重なる。
 それでもその日は九時過ぎにマンションに戻れたのだが――

「シンジ、何だその頬は」

 しまったと顔全体で語る。私を迎えるのもそこそこに自室に引き揚げようとしたシンジの、左頬は不自然に赤かった。長袖のシャツで腕を隠しているのも気になる。

「殴られたのか!? まさかいじめか、それとも恐喝……ええい、即刻犯人を捕まえて――」
「やめてよっ、だから父さんには知られたくなかったんだ! 何かしたら怒るよ!? 本当に怒るからね!?」

 あまりの剣幕に思わずたじろぐ。恐怖に駆られて口走ったという様子ではなく、本気で拒絶していた。どうやら訳ありらしい。

「……とにかく話だけでも聞かせてみろ」

 単純な暴力沙汰ではないにせよ、事情が分からなくては安心出来ない。そうした気持ちを察してくれたか、シンジは神妙な顔付きになって頷き、私をソファーに促して自身も腰を下ろした。

「……妹さんが怪我をしたんだって」

 斜め向かいという定位置で、伏し目がちに重い口を開く。

「使徒じゃなくて、初号機が街を壊したせいで……僕の戦い方が下手だったから……だから僕を恨むのも無理ないんだよ……」
「なるほどな」

 俗にロボット事件と称されている、十日前の第一次直上会戦。市民はその話題で持ちきりらしく、私の息子であるシンジは学校で根掘り葉掘り質問されて、どこまでなら話していいのかと困り顔で尋ねてきた。今後授業時間中に非常招集を掛ける事態も想定される以上、あまり隠しすぎてはかえって自由が利かない。レイ共々パイロットである事実やエヴァの武装、電力供給で動いていること――その程度なら明かしてかまわないと伝えた。

『ちなみにエヴァの撮影会を開いてほしいってリクエストもあったんだけど』
『却下だ』
『やっぱり?』

 ともあれ先日戦ったのがシンジであることは周囲も知るところとなり、結果その生徒は妹の仇を身近に見出したわけだ。

「しかしそれは逆恨みというものだろう。お前も壊したくて壊したわけではない。むしろ街を護ったのだ」
「うん……そう言って庇ってくれた友達もいたよ。でも怪我をさせたのは事実だし、どこかに感情をぶつけたくて堪らなかったんだと思う。……何だかんだ言って平気じゃないんだよ、みんな。使徒なんてものが現れて、本当にここが戦場になって、どんどん人が疎開して……クラスの人数も随分減った……」

 思えばつい先日まではシンジも、彼らと変わらぬ一中学生だったのだ。それが今は戦う立場。
 辛そうに噛み締められた唇。何と言おうかと私が考えているうちに、決意の言葉が紡がれる。

「……出来ることならみんな護りたい。僕の知っている人も知らない人も全部。無理だとしても一人でも多く護りたい。だから――」

 ――頑張るよ。
 悲壮さを隠すように笑顔が作られる。

「明日の放課後からまた訓練したいから、悪いけどミサトさんやリツコさんに頼んでおいて」
「……あまり無理はするな」
「うん。あぁ、あと、くれぐれも犯人捜しなんかしないでよ? もし変な真似をしたら一ヶ月、父さんが起きてくる前に新聞をどこかに隠すから」

 さらりと脅迫の言葉を吐き、立ち上がって部屋へ去っていく。
 その強さを喜ぶべきか、痛々しいと悲しむべきか……。





       「こんな父親の下でよくぞ立派に育ったと感嘆するべきじゃない?
        あぁ、反面教師として役に立ったのね」

 帰ってきたリリスレイに書斎で顛末を聞かせたらこれだ。腸がぐつぐつと煮えくり返る。私を思いやった発言が出来んのか!?

       「でも事実じゃない」

「……そうだな。事実は目をそらさず見つめなければな」

 机の引き出しを開けて中身を掴み取り、突き付ける。リリスレイの顔色が――血液循環などないだろうがニュアンスとしてはそういうことだ――変わった。

「投稿しても投稿しても、当たるのはロゴ入りボールペンやロゴ入りメモ帳、ロゴ入りハンドタオルばかり! お前には運も文才も欠けている! たまにはギフトカードくらい貰ってみせろ!」

       「失礼ねっ。他にも当たった物があるわよっ」

「ロゴ入り防犯ブザーなど、この家の一体誰が要る!?」

 苦い思い出が甦る。初めの頃こいつは私の住所と名前を勝手に使ったのだ。部下が郵便物をチェックして持ってきた時の、あの何ともいえない表情……。呪詛を吐きながら急ぎ私書箱を用意し、アルバイトも秘密裏に雇ったのだった。おかげで周囲からは隠せているが、この増えていく品々は如何ともし難い。いずれどこぞへ寄付でもするか。無論、匿名で。
 「私の血と汗と涙のメモリアルに何てことを言うのっ?」「お前にそんなものは流れていないだろう!」などとひとしきり掛け合いを演じてから我に返る。こんな話がしたかったのではない。一つ咳払いをして「それでだな」と話題を元に戻す。

「前の世界でもシンジは殴られていたのか?」

       「ええ。ただし第四使徒襲来の当日にね。
        あなたから今聞いた分だけでも、これほどの違いが挙げられる。
        今後も色々とずれが生じそうだわ」

「使徒の襲来時期さえ変わるかもしれんな」

 裏死海文書にも日時や場所までは記載されていない。だからこそ時にゼーレとの化かし合いにも発展した。さすがに各使徒の特性までは変わらないと思いたいが、記憶を絶対視しすぎるのも危険か。まぁ、主観的には既に十年以上の月日が流れているため、忘れてしまっていることも多いのだが。
 中でもこの時期の記憶はほとんどない。おそらくは今と同様、会議や折衝のために各地を飛び回り続けてうんざりしていて、長く覚えていたくもなかったのだろう。しかも第四使徒戦は私の不在中のこと。必然的に印象も薄い。
 せいぜい思い出せるのは、

「……確かシンジがパイロットを辞めようとしたのだったな」

 それすら詳細はおぼろげ。忘れたというより、そもそもどの程度把握していたか。対応は全てリツコ君にでも任せたのだろうし……そうだ、リツコ君とレイと話をしたような気がする。ということはレイもその頃には退院していたか。
 まだ包帯は巻いていたけれどね、とは本人の弁。

       「でも今回は退院が間に合わないかもしれない。
        あの子の方が怪我が重いもの……」

 第四使徒の襲来は第三使徒から約三週間後だったと語る。ならばあと十日ほどか。時期がずれなければ、だが。
 少しくらい後の方に動いたところで、レイと零号機が間に合うことは難しい。やはり今回もシンジ頼みになりそうだ。ではその後の展開も同一だろうか。
 可能性を検討して否と首を振る。リリスレイも異論を唱えない。同じ展開は辿らないと断言出来た。
 例え途中までは同じでも、パイロットを辞めたとしても、シンジの居場所は――ここにある。





 第四使徒が現れたのは翌週だった。以前より早く、そしてまたも私が本部を空けている最中だったが、シンジが無事殲滅してくれた。
 辞職の話は出なかった。帰還後に会ったシンジは反省半分、安堵半分といった表情をしていた。葛城君と補い合いながら語ってくれた内容で、私もおおよその経過を掴む。
 緊急措置として民間人をエントリープラグに入れたという話には何となく覚えがあった。収容後に一時撤退を図ったものの使徒の鞭に足を絡め取られ、ならばと――シンジの独断によって――逆に鞭を手繰り寄せ、コアにナイフを突き立てたという。

「使徒に引き倒されるたびに建物を壊してしまったから、つい逆上して……」

 すまなそうにシンジが俯けば、自分の指揮が至らなかったせいだと葛城君が庇う。そのまま責任の取り合いに発展しそうなのを制してやめさせた。シンジが無鉄砲な行動に走ってしまった理由は推察出来る。とにかく使徒は倒せたのだ、処罰より今回の反省を活かしてもらうことが肝要。各種状況を想定したシミュレーションを重ね、戦術を模索するとともに意思疎通を深めるよう二人に求め、同意を得た。
 なお、シンジの様子からどこか晴れ晴れとしたものも感じられたのは、やはり私の気のせいではなかったらしい。

       「青春の一コマという感じだったわよ」

 先日殴ってきた相手と和解したのだと教えてくれたリリスレイだが、詳細となるとそれしか語らない。ニヤニヤとした笑い方で言外に、あなたは知らないものねー、と優越感に浸っている。ふんっ、一ヶ月で一回しかハガキが読まれなかったくせに。

       「昼間のテレビでも読まれたわよっ。
        一緒に観ていたペンペンが祝福してくれたんだからっ」

「ペンペンだかケンケンだか知らんが、どうせ放送時間の穴埋めに読まれただけだろう!? 口篭ったということは図星か、やはりな!」

 「それでも読まれたことには変わりないわっ」「だが自慢出来るほどのことではない!」などとひとしきり掛け合いを演じてから我に返る。こんな話がしたかったのではない。

       「……そうよ、今後のことを考えましょう。
        次の使徒はあれよ?」

「ああ、あれだな……」

 攻防共に圧倒的な力を誇る雷の使徒――。





贖罪 〜彼の歩む道〜

episode 10





 幸い、レイの快癒も零号機の起動実験も間に合った。
 平日の午前という時間帯も都合がよかった。学校から二人に招集を掛け、出撃準備を整えさせるまでの間が生じた。
 メインスクリーンの中の八面体――第五の使徒を見据えながら、用意してあった台詞を口にする。

「この形状で近接戦を仕掛けてくるとは考えにくいな。攻撃反射型か遠距離攻撃型、あるいは防御特化型かもしれん」
「うむ……これまでの二体とは性質が大きく異なりそうだ。少し探りを入れてみるか」
「では無人機による攻撃を試みさせます」

 私見を述べるという形で鳴らした警鐘は冬月に受け入れられ、葛城君によって具体的行動に移される。かくしてエヴァを損なうことなく目標の特徴の把握に至り、超長距離射撃という対抗手段が提唱された。
 そこまでは私の思惑通りに運んだが――

「レイが防御役……ですか」

 案の定シンジは不服そうに口を歪めた。

「退院したばかりなのに……僕じゃ駄目なんですか?」
「大丈夫よ、私は」
「今回のオペレーションには高い精度が求められるの。シンジ君と初号機の方がシンクロ率は上だから……」

 零号機は無事起動し、実戦運用にも不安はないとはいえ、やはり役割は動かせなかった。ただ、地対空兵器を囮として用意したため、上手くいけば――本当に上手くいけばだが――盾の出番すらなくて済む。
 レイ自身が任務を受諾し、リツコ君に説かれ、不承不承ながらも頷くかに見えたシンジだが、

「……でも射撃技術はレイが上でしょう? 訓練期間が僕と全然違いますし」

 ――そう来たか。
 機械がサポートすると説明されても首を縦に振らない。

「性格的な意味でもレイが撃った方がいいですよ。僕よりずっと冷静で――いや、シャレじゃなくて。父さん、春にあった地震を覚えてるでしょ? 僕と父さんはテーブルの下に潜り込んだだけだったけど、レイは急いでドアを開けて逃げ道を確保した。いつもレイの方が落ち着いて行動するんだ。買い物に行って商品を崩した時だって――」
「分かった、もういい。それ以上言うな」

 言わんとすることを察し、急いで制した。リツコ君に対しては今更何を取り繕ったところで無駄だが、葛城君の前ではまだ司令としての体面を保ちたかった。

「とにかく、砲手にはレイを推します」

 断固とした主張に些か心が揺らぐ。シンジの言い分にも一理あった。シンクロ率は重要だが、シンジを砲手に据えた理由はそれだけといえばそれだけ。他に基準を求めれば確かにレイの方が優れている点が多々あった。
 リツコ君も葛城君も、困り気味に私に視線を投げて寄越す。彼女達にも迷いが生じたらしい。どうしたものかと腕組みをして考え始めたところへ、推挙された当人が声を上げる。

「もう決まったことだわ。防御は私がやる」
「駄目だよ、何かあったらどうするのさ」
「何もないようにやるわ。過保護なのよ、シンジは」
「過保護って何さ、心配して言ってるのに!」
「心配されるほど弱くないわよ、訓練期間が違うもの」
「人の揚げ足を……!」
「おい……」

 何故か喧嘩腰になってきた。

「無理やり理屈を並べるからだわ。また命令違反をする気?」
「言ったな」
「言ったわ。今度こそ素直に従うべきよ」
「そういうレイだって――」
「……そこまでだ」

 堪らず止めに入る。普段は私とシンジの言い合いを笑いながら見ているようなレイだが、ひとたび舌鋒を振るい出すとリツコ君さながらに鋭い。ここで本気で口論されて、パイロットに消耗されては適わん。
 あらためて、とっくりと二人を見回す。見返してくる眼光が、我こそが我こそがと激しく訴えかけてくる。
 ……シンクロ率重視でシンジを選んでも、適性重視でレイを選んでも、結果はそう変わらないだろう。ならばどちらの主張を採用するかだが、肩を持ちたくなるのはやはり――

「シンジ。レイを護れるな?」
「はい!」
「よし、ではシンジが防御、レイが砲手だ」

 満足げに輝く顔の横で、恨めしそうな目が私を睨む。
 古くさい価値観と言わば言え。女を護るは男の仕事だ。

       「女を撃った男がいなかった?」

 ……男の仕事だ!
 横槍の聞こえていない者達は既に頭を切り替え、それぞれの準備に向かおうとしている。上向き加減にレイが一つ息を吐いた。

「……じゃあ私は、一撃で仕留めることでシンジを護るわね」
「うん、頼むよ。僕の命、レイに預けた!」

 冗談めかした口調に笑みが零れて、皆の気分が良い具合にほぐれる。
 ヤシマ作戦は最終段階へと進む。





 ――午後十一時五十八分。
 冬月の残るネルフ本部が使徒の前に無防備な姿を晒すまであと僅か。
 二子山では全ての配置が完了していた。日本中から集められた電力が解放の時を待っている。
 指揮車内でモニターを見つめながら時報に耳を傾ける。狭い空間を包む緊張感。おそらくは全員が各部署で、同じ感覚を覚えている。時だけが平然と行き過ぎる。
 五十九分。五十九分十秒。五十九分二十秒。三十秒、四十秒、五十秒……
 午前零時。

「作戦、スタートです!」
「日本中のエネルギー、預けるわよ、レイちゃん!」
『はい!』

 葛城君の発破に勇ましい声が返る。静が動へと切り替わる。

「第一次接続開始!」

 膨大な電力が流れ出した。全加速器が運転を開始し、強制収束器が作動する。

「第三次接続、問題なし!」
「最終安全装置解除!」
「撃鉄起こせ!」
「地対空ミサイル、発射用意!」

 こちらの気配を察知したか、目標にも動きが生じる。

「発射!」

 四方八方からの砲撃。それを切り裂くように閃光が走る。威力の差は一見して明らか。加粒子砲が命中するたび兵器はたちまち鉄屑に変わり、対する目標は障壁に護られて傷一つ付かない。効果がないと分かっている攻撃をあえて続ける間に、

「第七次最終接続!」
「全エネルギー、ポジトロンライフルへ!」

 発射は秒読み段階まで整った。
 地対空兵器の最後の一基が破壊される。ポジトロンライフルは照準が定まり、引き金を引くだけとなった。そこへ再び報告される、目標内部の高エネルギー反応。だが――それすらこちらは予測済み。
 盾を構えた初号機が加粒子砲の前に躍り出る。敵シールドがジオフロントに侵入したとの声が上がる。同時にあらゆる要素が好機を告げる。

「発射!!」

 一閃。
 全電力を乗せた光が、闇を駆けコアを貫いた。





 ヘッドライトが暗い山中を照らす。後処理は任せて指揮車を出て、手近にいた者に命じて車を走らせた。目指す先には二機の巨人と二人の子供。
 半ば融解した盾を地面に置き、こちらも頭部や脚の装甲が一部溶けた初号機が、片膝をついて首を前に傾けていた。エントリープラグは零号機の手で抜き取られている。車を止めて降りると熱せられた空気が頬に当たった。エヴァの近くで二つの影が動くのが見える。

「レイ! シンジ!」

 駆け寄るとそれぞれの顔が上がる。シンジに肩を貸して歩いていたレイだが、その細い体では支えきれないらしく、よろよろと左右に膨らんで危なっかしい足取りだった。私が来ると安心したようにその場に座り込む。

「シンジ、大丈夫か?」
「うん、大したことないよ。ただ、ちょっと力が入らなくて……」
「腰が抜けたのよね」
「違うよっ! 思ってたより熱かったり眩しかったりで、終わったら気が抜けただけっていうか――」

 勢い込んで弁明をする様に、混ぜ返したレイが含み笑いをする。頬を膨らませてむくれるシンジに確かに大事はなさそうだ。
 安堵の息をつき、背を向けて屈み込む。

「おぶされ」
「え……父さんに? やだよ、恥ずかしい。中学生にもなって」
「肩を貸すにはお前が小さすぎるのだから仕方あるまい」
「父さんがでかすぎるんだよ! 僕だって毎日牛乳飲んでる、絶対大きくなってやる!!」

 こらえ切れないとばかりにレイが声を上げて笑い、私の背にぐいぐいと押し付ける。腕を暴れさせて激しく抵抗したシンジだったが、やがて観念したか肩に掴まってきた。
 何年ぶりかに背負って歩く体。少しは重くなっていた。

       「……前は私が、助け出された側だった」

 横合いから私達を見守っていたリリスレイが歌うような調子で呟く。
 前方からいくつもの灯りが近付いてくる。回収班の到着か。

       「その時何があって、私が何を重ね、何を思ったか知りたい?」

 もったいぶるな。話すなら話せ。
 リリスレイはやけに楽しそうにクスクス笑って地面を蹴る。

       「――教えてあげない」

 ふわりと浮かんだ体が宙を舞い、音もなく零号機の頭頂部に降り立つ。
 見上げた遥か先では月が白く輝いていた。



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