「惣流・アスカ・ラングレー、着任しました。よろしくお願いします!」
「ああ、そうそう、そういう名前だったな。いや、何でもない、こちらの話だ。以後励んでくれたまえ」

 洋上で第六使徒を退け、セカンドチルドレンと弐号機は本部へと到着した。アダムと、ついでにそれを運んできた男とともに。
 これまでとは異なる空気が多少なりとも流れ始めて間もなく、第七の使徒出現の報が入る。「この使徒は分裂するから同時攻撃を仕掛けろ」という、未来予知以外の何物でもないような指示をまさか出すわけにもいかず、やむなく成り行きを見守った結果、エヴァ三機はあえなく撃沈。冬月を大いに嘆かせた。
 提唱された作戦は、パイロット二名の呼吸を合わせての二点同時攻撃。選抜された二名はレイとセカンドチルドレン。相性でいえばレイとシンジの組み合わせが最良に違いないのだが、配属されたばかりのセカンドチルドレンを外してはドイツ側から難癖をつけられる恐れがあり――不要なら返せといったことだ――そうした政治的配慮から決まってしまった。
 不満を抱きながらも作戦概要に目を通していると、ある一文が引っ掛かった。

「本部施設内に変更されたのか?」

 これを持ってきたリツコ君に問い掛ける。確か葛城君が起こした草案の段階では、訓練のため起居する場は彼女のマンションとなっていたはずだが。
 私が変えさせました、と答えるリツコ君の表情は険しい。

「著しい支障が出ると予想されましたので」
「そうか」

 相応の根拠はあるのだろう。
 元々大きな問題でもなく、そのまま私は認可した。





贖罪 〜彼の歩む道〜

episode 12





 暦の上では休日に当たる日。本部の通路を歩いていると、角の向こうから聞き覚えのある声がした。何やら険悪な様子だが、すると相手は――

「あっ、司令!」

 角を曲がって私が姿を現すや、慌ててセカンドチルドレンは笑顔を繕う。一緒にいたのはやはりレイとシンジ、ついでにリリスレイ。補欠であるシンジも不慮の事態に備えて授業時間以外は訓練に参加している。

「順調に進んでますよ。決戦では必ず勝ちます!」
「…………」

 非常に愛想よくセカンドチルドレンが話し掛けてくるが、その高い声で先程何を喋っていたか、私の耳にはきちんと届いていた。サングラス越しの凝視を受けて、頬が徐々に引きつっていく。

「……ドジ、グズ、足を引っ張らないでよ、か」
「いえ、その……」
「一体誰に向けて言っていたのかね? 答えたまえ」
「父さん!」

 くっ、シンジが睨んでいる。今のところはこの辺で勘弁してやるか。
 取り成すようにレイが話題を転じる。

「私達これから昼食なんだけど、よかったらおじさまも一緒に食べる?」
「いや、仕事がある」

 先の敗戦であちこちから噛み付かれているのでな……。

「だが今晩は早く帰れるはずだ。何か買って帰る。作らず待っていろ、シンジ」
「分かった」

 密着二十四時と称してユニゾン訓練に張り付いているリリスレイが、私達の遣り取りにやけに興味深そうな顔付きで一人頷いている。

       「くしくも同一シチュエーション……でも流れは全く違う……」

 同一? 何がだ? 私には覚えがないぞ。
 ともかくその場で別れ、通路を進むと今度は後ろから「あんた達ってファザコン?」との声が届く。だから聞こえているのだ、セカンドチルドレンっ!





「必要なら言え。すぐに代わりを見つけて取り替え――」

 バンッとテーブルを叩く音に首が縮こまる。インスタント味噌汁が零れない程度の力で打ち下ろした拳を元に戻し、シンジはまた松花堂弁当に箸を伸ばす。笑顔が怖い。

「父さん。そんなに職権乱用司令って言われたい? リツコさんはもっと素敵な綽名でも呼んでるんだけど教えてあげようか?」
「私はただ、こちらから働き掛けることも出来るのだぞ、と……」
「まさかもう、何かやった?」
「いや、やっていないぞ。……うむ、何もやっていない」

 反射的に答えてから頭の中で素早くこれまでの出来事を反芻し、あらためて断言する。
 誤って海の藻屑とならないよう、弐号機の引き取りにシンジもレイも行かせなかったのは“やったこと”ではなく“やらなかったこと”だ。“セカンドチルドレンを闇討ちすれば、シンジとレイとでめくるめく夢の一週間だ計画”も、冬月が目を光らせていたため実行には移せずじまいだった。だから私は嘘を言っていない。

「庇うということは、あれでセカンドチルドレンとの仲は良好なのか?」
「そうは言わないけど……」

 途端に歯切れが悪くなり、目が泳ぐ。

「ただ、まだ仲間になって間もないんだしさ、付き合ってみればいいところも見つかるかもしれないし、文化の違いもあるだろうし、環境に慣れれば少しは変わるのかもしれないし……」

 現時点では全く上手く付き合えないでいると白状しているに等しい。自分でもいいかげん苦しさを覚えたか、ユニゾンは大丈夫だから、と限定的好材料を持ち出してきた。

「本当に順調に仕上がってる。そっちの心配はないよ」
「だが昼間は――」
「ドジだのグズだの言われてたのは僕。レイと惣流は動きが合ってるんだ。仲がいいかは別として……」

 シンジが語ってくれたところによれば、大きな口を叩くだけあってセカンドチルドレンの運動神経はレイを上回るものであり、その分付いてこられないレイを責めることもあったという。――シンジは控えめに表現していたが、ひどい罵倒や皮肉が飛んでいただろうことは想像に難くなく、全くもって腹立たしい。
 しかしレイが弁解も腐りもせずにひたすら技量の向上に励むうち、セカンドチルドレンも徐々に何も言わなくなり、今では二人、恐ろしいほどの気迫で黙々と訓練に打ち込んでいて、ユニゾンも高いレベルで成功しているらしい。

「それはいいんだけど、休憩中でもあの二人、ほとんど口を利かないんだよね。僕に対してはあれこれ言ってくるけど、お互いの間ではさっぱり……。たまに相手の顔をじっと見て、出方を窺うような真似をして。何かこう、息が合ってるというより、真剣勝負の結果として動きが合ってるだけというか……」

 持て余し具合を表すように、その手がテレビのリモコンをいじる。「あぁ、こういう感じに近いかも」との言葉に視線を画面へ移せば時代劇。二人の武士が抜き身を手に対峙し、じりじりと間合いを測っている最中だ。
 ……とてもよく空気感が理解出来たが、代わりに何ともいえない気分になった。

「まぁ、女の子には女の子の付き合い方があるんだよね……」
「そうだな……」

 この瞬間、シンジと私の心は一つだったろう。これ以上深くは考えまい、と。
 結局チャンネルはクイズバラエティーに落ち着き、明るい雰囲気に紛れさせて私達も会話を再開させる。

「実際、女子ってよく分かんないよ。父さんが僕くらいの時は上手くやれてた?」
「無論だ」
「ホントに?」
「何故疑う」
「だってさぁ」

 私の顔を見つめて憫笑し、首を振る。失礼な。

「加持さんなら分かるけど父さんは……あ、加持さんって知ってる? 惣流と一緒にドイツから来た人」
「特殊監査部の加持リョウジか?」
「そうそう。この前少し話したんだけど、女の人にモテるらしいよ。それでレイに手を――」
「手を出したのか、あの男!?」
「出してない出してないっ! っていうか、何携帯取り出してんの!? 『殺せ』とか保安部の人に命令する気!?」
「まさか。そんな真似はしない」

 確かに命じそうになったが、すぐに思い直したからな。
 ――まずは五臓六腑を引きずり出してからだと。

「レイに手を出したら『材料』にするってリツコさんに釘を刺されてた――と言おうとしたんだよ。全く、早とちりしちゃって」
「何だ、そういうことか」
「加持さんならモテるのも分かるんだけどね」

 『材料』というのは普通に考えれば実験材料なのだろうが、リツコ君のことだから料理の材料ということもあり得るな。どうせならゼーレの任命責任を追及する材料にも出来ないだろうか、などと私が考える一方で、シンジは重く溜息をつく。

「僕はそんなふうにはなれないなぁ」
「モテないのか?」
「別にそういうわけじゃ! ……あるけど」

 最後は小声で付け足された。意地を張るのは得意でも、とぼけたり嘘をついたりするのは苦手な奴である。
 一人の女に愛されればそれでいいではないか、と告げようとした時、

「でも男同士で馬鹿やってる方が気楽といえば気楽だしね」
「待て! 何だ、その発言は!?」
「えっ、怒鳴るとこ?」

 悪びれた様子がまるでない。これはまさか……しかしそんなことがあっていいはずが……!

「シンジ……」

 意を決して、今まで禁じ手としてきた質問を繰り出す。

「気になる女はいるか?」
「え?」

 多少顔を赤らめたが、至って平然と、

「別に好きだってほどの子は――」
「いないのかっ!?」
「何で怒るの!?」

 一気に目の前が暗くなった。何ということだ……私のこれまでの努力は一体……?
 レイと暮らしているのだぞ? あの可愛らしくて可憐で瑞々しくて、優しくて清らかで純真なレイと、一つ屋根の下で何年も過ごしてきたのだぞ? それが何故こんな青くさい思考に留まる? 己がどれだけ恵まれた境遇にいるのか分かっているのか、こいつは?
 「食後のお茶淹れようっと」と言い訳のように口にしてそそくさと席を立つ背を睨み付ける。男同士の方が気楽でいい、だと――?

「まさか男の方が好きなのか……?」
「そこまで言ってない」
「では好みは!? とりあえず芸能人で答えてみろ!」
「さっきから何なのさ、もう……。個人名挙げたって分からないくせに」
「それならこの番組に出ているタレントの中では!?」
「めんどくさいなぁ。えーと、その中なら……上の段の左から二番目」
「ふむ、髪が短くておとなしめな娘か。ならいい」
「何が!?」

 化粧も衣装も派手で押し出しも強い女達の中で、一番清純そうに見えるこのタレントを選んだということは、どうやら好みに問題はなさそうだ。であれば、巻き返しの余地はまだ残っている。レイを家族としてではなく異性として意識させるきっかけさえあればいいのだ。
 そうなると返す返すも今回のユニゾンの件が残念だ。一つ部屋の中で寝起きさせれば、気分は確実に盛り上がっただろうに。「セカンドチルドレンに万が一のことがあって、レイとシンジ君が組むことになったとしても、その場合は訓練場所は自宅だからな」と先手を打たれて牽制されなければ……おのれ、冬月……! シンジの持ってきた茶を啜りながら思わず拳を震わせる。
 シンジは私が不審者か何かであるように視界から外しながらテレビを観ている。思えば小さな頃から家事を担い、今ではそれにパイロットとしての訓練が加わっているのだから、異性に対してあまり積極的でない性格に育ったのも無理はないのかもしれない。そういえば先程のような、男同士だからこその会話といったものもほとんど交わした覚えがない。レイを疎外するわけではないが、たまにはこういう時間も持つべきか。
 いつかはシンジも、恋愛相談を持ちかけてくれるだろうか。しかしいつの話になるやら。そもそもレイのような娘と一緒にいながら何故目覚めない――と思考が振り出しに戻ると同時に、怒りとも嘆きともつかない感情が再び生まれる。

「情けない……。私が若い頃は男友達などいなくて、女とばかり遊び歩いていたというのに」
「それ全然自慢にならない」
「高校生に求愛され、大学生とデートをし、社会人から小遣いを貰っていたのだぞ? 同学年にそんな男は二人といなかったはずだ」
「いたら嫌だよ。でも気になるんだけどさ――」

 こちらを向いた目は冷たい。

「――父さんのそういうところ、母さんは承知で結婚したの?」

 息子に語る話ではなかった。気付いた時には後の祭り。正直に答えても見栄を張っても、待つのは軽蔑。つまり詰み。嫌な汗が滲み出る。

「……それは……だな……」
「今度初号機に乗った時、母さんに色々と伝わっちゃったらごめんね」
「待て、やめろ!」
「僕だって告げ口したくなんかないけどさぁ、何せシンクロするからねぇ。無意識のうちに色々言っちゃうかもなぁ。あーあ、母さんに悪いなぁ。怒るのかなぁ、悲しむのかなぁ」

 私に酷薄な揺さぶりをかけていたシンジだったが、はたと真顔に変わる。

「あのさ……母さんがいるから僕が初号機に乗ってるみたいに、もしかして惣流も……」
「……ああ」

 誤魔化しても仕方のないことだった。

「母親の魂の一部が弐号機の中にある」
「そのこと、惣流は……?」
「知らんはずだ。安易に教えられる話ではないからな」
「そう……」

 ぎこちなく口を閉ざしたシンジの胸中に去来したのは憐憫か、それとも別の何かか。
 私には分からなかった。







 決戦の日。零号機と弐号機は見事に調和の取れた動きを見せて、第七使徒を殲滅した。
 久しぶりに三人揃った夕食の席で、私とシンジが気にしたのはやはりレイとセカンドチルドレンの仲。しかし本人は至ってけろりとしていて、武士の果たし合いという例え話には身をよじりながら笑った。

「あははははっ、確かに通じるものはあるかも。でもそんなに心配しなくても、それなりに上手くやっていけると思うから」
「本当か? 無理はしていないか?」
「結構ひどいことも言われてたじゃないか」
「だって惣流さんに実力で劣っていたのは事実だし、それ以外のことなら大体もう言われ慣れてるし」

 反応に困ってしまった私達に、悪戯っぽい微笑を見せる。

「おかげさまで精神的には割と打たれ強いの。まぁ、一度だけ部屋で殴り合い寸前まで行ったけどね。こう叩かれそうになったからこう防いで、逆にこう叩き返そうとしたのをこう防がれて、そのままの体勢でしばらく睨み合っちゃって。あれ監視カメラで見られてたとしたら恥ずかしいなぁ」

 身振り手振りを交えて、まるで武勇伝か何かのように嬉々として語る。「膝蹴りとかローキックとかに発展しなかったのは、ユニゾンに影響が出たらまずいっていう理性がお互いまだ辛うじて残っていたからね」とまで振り返られては曖昧に頷いてみせるしかない。

「でもそれくらいやり合った方が案外上手くいくもの。こっちもおとなしくやられたりはしないって分からせると、向こうの見る目も変わるし」
「その理屈は分かるが、しかしだな……」

 レイの口からそんなバイオレンスな発言は聞きたくなかった。親の身勝手と言われようが聞きたくなかった……。
 女の子はよく分からないと語っていたシンジも、称賛していいものかどうか測りかねるといった表情だ。不幸な過去を糧としてたくましく成長したレイだけが、一人あっけらかんとしている。
 と、そのレイの携帯が軽やかなメロディーを奏で始める。席を立って電話に出ようとして、発信者の名前を見て少し怪訝そうにした。

「もしもし? ……え? ちょ、ちょっと待って、落ち着いて話して……ええ……ええ、それで……うん……」

 頷くたびに困惑の度を深めていく様子に、私もシンジもつい注視してしまう。しばらくしてレイは私を振り向いた。

「おじさま、惣流さんが今晩泊めてほしいって言ってるんだけど」
「セカンドチルドレン? 確か葛城君の家で暮らすことになったはずだろう?」
「それが……」





「ゴミゴミゴミゴミ、ゴミだらけっ!! 何なの、あれ!? どうやればあんな状態に出来んの!? 何であんなところで暮らせんの!? 見ただけでビョーキになりそうよっ!!」

 台所のシンクが全く見えなかったとか、ビールの空き缶が顔の高さまで積まれていたとか、半狂乱で訴えてやまないセカンドチルドレンを、「明日手伝いに行くから」とレイとシンジが必死に宥めた。










       「ちなみにペンペンはもう悟りの域に達しているのよ。健気よね」

「だからペンペンとは何だ?」



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