土埃の交じった風が吹き抜ける。
 今年もこの日が巡り来た。

「……変な感じだな」

 私とレイが見守る中、そっとシンジが花束を置く。艶やかに花弁を広げた白いユリ。引き立て役を務めるように暗色の花が慎ましく脇に添う。だがシンジが本当に選んで買い求めたのは、むしろこちらのような気がした。

「ここに母さんはいないのにね」

 初号機に通じる紫のキキョウを、ユイの名の刻まれた墓標が静かに見下ろす。手を合わせるでもなく私達はその前に立つ。
 真実ユイの眠る場所がどこかを知った以上、もう墓参りには付き合わなくてもいいと言ってあったのだが、今年も命日に当たる日にはこうして三人でここへ来た。休日なので二人は私服、私は仕事があるので制服。いつもといえばいつものこと。
 来年からはどうなるのだろう。
 来年を三人で迎えられるだろうか。
 遠くをリリスレイがゆっくり、ゆっくりと歩いている。

「毎年ここで、ユイが残してくれたものを考える。そのために来ている」

 そして今年も考える。これまでのことを。
 使徒との戦いは順調に進んでいるといっていい。火口の中で生まれたものも、地を溶かす雨を降らせるものも、空より襲い来たものも、本部を自爆の恐怖に陥れたものも、皆殲滅した。
 一方でこちらに目立った被害はない。勿論記憶にある道筋とは多少異なり、停電が起きたのは第九使徒襲来とは別の日だったし、第十一使徒が現れた時にはパイロットは全員学校に行っていたため、万一に備えて本部内に入れることさえ避けた。しかしいずれも以後に障りが出るほどのことではなく、ロンギヌスの槍も無事に搬入出来ている。子供達も一頃よりは親密になって賑やかに過ごしていた。
 順調だった。あまりに順調すぎて反動が怖いほどに。
 二人は分かったような分からないような顔で頷いている。シンジは勿論、レイもある意味ではユイが残してくれたもの。

「おばさまの写真がないのが残念だわ。見てみたかったな」
「……お前のような美人だ」

 ただの冗談と受け取って、レイは小さく笑うだけで聞き流す。

「でも実際に見てみたかったから、私達調べたの」
「当時の新聞に載ってるかもしれないと思って、図書館で」

 調べるなっ!

「それで見つけたことは見つけたけど、写りが悪くて」
「はっきりとした顔立ちは分からなかったわね」

 ホッ。

「大切なのは写真という偶像ではなく、心の中の思い出だ。それでいい」

 二人の写真を大量に所蔵している身で言えた台詞ではないが、ともかくもっともらしいことを言って強引に打ち切る。
 動揺隠しにサングラスのずれを直す私の視線の遠い先で、リリスレイは相変わらずゆっくりと墓地を歩いている。こちらを気に掛けるでもなく、一つ一つの墓標の前で足を止めながら。
 墓地に着くと私達がユイの墓標を真っ直ぐ目指すのに対し、リリスレイは広大な敷地の端から巡る。一列目、二列目、三列目と順に。だから私達が帰る頃になってもユイのところまで辿り着いた試しがない。最初は訝しく思った行動だが、今は何となくその意味が想像出来ていた。
 そして今年もリリスレイとは合流せずに終わる。シンジとレイと別れ、迎えに来たVTOLに乗り込む。風で砂塵が激しく舞った。
 遠ざかっていく地上の風景。シンジとレイが連れ立って出口へ歩いていく。花束だけがユイの墓標の在り処を示す。花にも似た色彩の娘が、荒涼とした地をゆらりゆらりと歩いている。ここに限らず、墓を見るたびにああして覗き込んでいるのかもしれない。
 この星で死んだ者の名を心に留めるために。





贖罪 〜彼の歩む道〜

episode 13





 数日ののち、順調な推移がまた一つ示された。

「零号機の誤差は許容範囲内に収まりました。数値上、実戦運用も可能です」

 公務室の外を眺める私に、背後からリツコ君が告げる報告。初号機と弐号機はまだ調整を要します、と続けられるが、それは相性の点から予想されたことであり特に失望はない。重要なのは前半部分。

「では次の戦闘より、零号機はダミーを優先させる。パイロットはケイジで待機だ」
「はい」

 ――ダミーシステムの実戦投入。
 目指していた段階にとうとう達した。次に待ち受ける第十二使徒が正攻法では倒し難い相手なだけに、この時期で完成をみたことは大きな意義があった。

「随分と無茶な注文を付けてしまったが、よくやってくれた。礼を言う、赤木博士」

 振り返って彼女と向き合い、あらためて労をねぎらう。

「二十四時間こき使っても良心の痛まない人間がいましたから。後はパイロット搭乗時との運用の差が良い方向に作用してくれればいいのですが」

 ダミーシステムも決して万能の切り札ではない。あくまで人の思考を真似るだけで、人の持つ状況即応力には及ばず、プログラム通りに動く機械の正確無比さもない。結果、汎用性には著しく欠け、射撃戦や僚機とタイミングを合わせての行動には不向き。
 半面、肉弾戦には期待が出来た。機械にはない獣性を持ち、人の理性には縛られない。徹底した暴力の化身となることだろう。暴走時の初号機と同様に。
 そして場合によっては――使徒もろともの自爆という手段も取らせられる。

「ダミー搭載の零号機を先陣に立たせ、初号機と弐号機が後方から援護。この態勢で以後の人的被害は軽減が可能だろう」
「はい。ただ、パイロットには些か当惑も見受けられますので、いま少し説得に努めてみます」
「では私からも――」
「いえ、それには及びません」

 余計な真似はするなと突っ撥ねられた気がして反発を覚えるが、私よりリツコ君の方が子供達の心に添えるということは、悲しいが長年の事実が示している。よろしく頼む、と渋々引き下がる。
 当惑、か。見ようによってはレイ一人だけ安全圏に逃れるようにも見えるため、その辺りで気兼ねをしているのかもしれない。だがわざわざ後戻りも出来ない。

「私の不在時は、ダミー関連の判断は君に一任する。よろしく取り計らってくれ」
「了解しました」

 その後も二、三、別件について協議をし、一段落ついたところでリツコ君が声音を若干低めた。

「……地下の一件は、どうなさるおつもりですか?」

 抽象的な言い回しだが内容は察し得た。

「恋人同士なのだったな」
「元、ですわ。少なくとも一方はそう主張しています」

 先日葛城君と加持リョウジがターミナルドグマに侵入した。表沙汰にはされていないし、両名とも表面上今まで通りに勤務している。

「放置しておけとおっしゃっていましたが、やはり危険です。早めに手を打つべきではありませんか?」

 思わずリツコ君の顔を見つめ直す。彼女は居心地が悪そうにするでもなく、逆に胸を反らし、顎を突き出すようにして私を見返してくる。子供達が直接絡むならいざ知らず、それ以外では私情を覗かせまいとするのが彼女の姿勢。
 また外に目を向けるふりをして、結局私が先に視線を外す。

「慌てて動いては逆に付け入る隙を与える。今は処分を下す時ではない」
「分かりました」

 話が済むと毅然たる足取りで彼女は出て行く。
 何もそんなに冷徹さを装わなくとも――と、聞かれる心配がなくなってから毒づいた。







 連絡が入った時、私は帰国途上の空にあった。

「司令、第3新東京市直上に第十二使徒が出現しました」

 誰の耳が傍にあるわけでもないのに、随行員は声を抑え気味にして述べる。物腰に緊迫感が漂う。

「ダミープラグ搭載の零号機と初号機、弐号機が迎撃に出た結果――」

 ディラックの海――と口の中で呟く。

「使徒によって零号機と弐号機が呑み込まれたそうです」





 ……弐号……機……?

























【葛城三佐の報告】

「今回の一件は部下の暴走を許してしまった私の落ち度で――アスカ、今は私が喋ってるんだから黙ってなさい――本来の作戦では零号機単機を先行させて使徒の出方を探――黙ってなさいってば――えー、とにかく思いがけない攻撃によって二機が呑み込まれてしまった次第ですが、五分後、零号機が使徒の体を突き破り脱出、及び殲滅に成功。直後に弐号機も異空間より――だから黙りなさいっての、アスカ!!」



【セカンドチルドレンの供述】

「ダミーなんて冗談じゃなかったんですよ、だってパイロットはお払い箱ってことですよね? まだほとんど活躍も出来ていないのに放り出されてたまるもんかって怒ったんです、私。ダミーなんかに見せ場を取られたくなくて、先を争うように走って突っ込んで行っちゃって。うふふ、お恥ずかしい限りです。
 地面に呑み込まれ始めた時は怖かったですよ。助けて、助けて、って周りに呼び掛けたんですけど、あの状態じゃどうしようもないですもんね。初号機とも離れていましたし。えへ、今ならそうやって振り返ることが出来るんですけど、あの時はもう必死で滅茶苦茶叫びまくってました。失礼なことも言っちゃったかも。
 使徒の中はよく分からない空間でしたね。一緒に引きずり込まれたはずの零号機も見えませんでしたし。怖いし不安だし、こんなところでこのまま死んじゃうのかなって思うとどうしようもなく悲しくなって、死にたくないって涙まで出てきちゃったんです。あ、これナイショですよ?
 死んだママのことが思い出されてきて、死んだらまたママに会えるのかな、でも死ぬのは嫌、まだ死にたくない、ママ助けて、死ぬのは嫌――って言っていたら、そうしたら! そうしたら突然ママの声が聞こえてきたんです! あぁ、ママはここにいたんだ、ずっと私を見ていてくれたんだ――そんなふうに急に感じられて、後はもう怖くなくなったんです。ママがいてくれている、って思うだけでとても安心出来ました。
 ママの声をもっとよく聞こうと思って耳を澄ましていたら、何だかすごい音が代わりに聞こえてきたんです。多分零号機が使徒を倒そうとしている音だったんでしょうね。それで私がびっくりしていたらパッと目の前が開けて、第3新東京市に戻ってました。結局ママの声はそれっきりでしたけど、でもいいんです。ママは私の傍にいてくれたことが分かりましたから!」



「……そうか、よかったな……」
「はいっ!」

 私がようよう挟めた声にきらきらしい笑顔で応え、ヨーデルを歌いながらスキップ交じりにバレエを踊り出しそうな風情のセカンドチルドレンは葛城君に引っ張られて退室していった。
 公務室に静寂が戻ったが、平穏は既に跡形もなく破壊され尽くされている。私は指も動かせないほど固まったままで、脇で聞いていたリリスレイも口を開くまでにかなりの時間を要した。

       「……あれほど嬉しそうにしている彼女には、
        私もそうそうお目にかかったことがないわ……」

「それは結構なことだな……。嬉しそうというより、怪しい宗教にかぶれた人間のようにも見えたが……」

       「一応精神汚染はないらしいから……」

「別の意味で隔離した方がよくないか……?」

 お互い、相手の顔を覗き見ようという気力もない。パイロットに当惑が窺えるという話は、もしかして主にセカンドチルドレンを指していたのだろうか。発令所にいたため経緯は全て知っている、とこの場への同席を断った冬月とリツコ君が恨めしかった。二人がそそくさと逃げていく様子から嫌な予感はしたのだが……。
 ともあれダミーシステムでの初実戦は成功に終わったな――と無理やり思考を切り替える。話題の中心とすべきはこちらなのだ、うむ。
 戦闘の様子を収めた映像は見た。空中に浮かぶ球状の物体――使徒の影――を突き破って脱出を果たした零号機は、そのまま内蔵電源切れで活動を停止した。五分間、ディラックの海で暴れに暴れていただろうことは想像に難くない。口が開かないため初号機のように吠えることもなく、ただ無言で手足を振るう――

       「あまりぞっとしないわね」

 面白くもなさそうにリリスレイが呟く。同感だった。
 その後、MAGIが解析出来た分の戦闘データに目を通したり、後処理の指示を出したりという作業をしているうちに夜は更けて、リリスレイもとうにどこかへ消えていた。帰宅したのは日付が変わりかけた頃。既に子供達は寝てしまっただろうと思ったのに、リビングに入るとベランダにいる人影が目に飛び込んできた。

「レイ? 何をしている?」
「あ、お帰りなさい」

 窓から外に出た私を振り返るレイの手には、何故かビニール袋が握られていた。

「ヒラヒラとした物が引っ掛かっていたから、何かなって思って。こんな高いところまで風で飛ばされてきたのかしら。それとも鳥が落としていったのかしら」
「そうか」

 疑問が解けた以上、すぐに部屋に戻るのだろうという私の予想は、しかし外れた。

「これね、ケーキ屋さんの袋なの。私も何度も行ったことがあって、シュークリームが特に美味しいのよ。あぁ、食べたくなってきちゃった。でも今ダイエット中だし……」

 つい口元が綻ぶ。開いたままの窓からはエアコンの冷気が流れてくるし、今夜は比較的風も出ている。外にいてもさほど暑くはなく、もう少し付き合いたいという気分にさせた。

「ダイエットの必要などあるのか?」
「あるわよ。この間の中華料理、食べすぎちゃって。帰ってから体重計に乗ったら大ショック。アスカもそうだったみたいで、今は二人して甘い物禁止期間中なの」

 第十使徒殲滅後に、大役を果たしてくれた褒美として子供達を高級中華料理店へ連れて行ったのだった。「中華な辺り、葛城三佐への対抗心が見え見えね」とリリスレイには言われたが、三人とも喜んでいたからいいのだ。

「でもあの北京ダック、本当に美味しかった。杏仁豆腐もトロットロで……。あらためてありがとう、おじさま」
「大したことではない。しかしやはりお前の場合、ダイエットなど気にしなくていいのではないか? むしろもっと食べてもいいくらいだ」

 薄いピンク色のパジャマ姿のレイを上から下までざっと眺めかけて、年頃の娘には嫌がられそうだと気付き、慌ててやめる。あらためて眺め回さずとも、体つきはおおよそ把握出来ている。
 至って華奢な体型。決して小食なわけではないし、パイロットとしての訓練によって筋肉も備わっているのに、元からの線の細さはいつまで経っても消えない。未だ薬の助けを必要とし、女性としても未成熟。そうした不安定さが表れた体は、食事制限とはどう考えても無縁だ。

「まぁ、太れと言われて聞く女もいまいが」
「そういうこと。細いけど肉付きはいいって体型になりたいなぁ。贅沢? そういえば今日はね、本当なら数学のテストがあったの。自信がなかったから潰れてくれてよかったかも。でも理科の実験はやりたかったな」
「実験?」
「うん、アルコールランプや試験管を使って。やりたかった。結構実験は好き」

 楽しんでいた会話。しかし次第に違和感を覚え始める。妙にレイが饒舌なのだ。私に聞かせたがっているというより、取り留めもない言葉を拾い上げては放り投げているような。そもそもこんな遅くまで起きていたこと自体が珍しい。
 喋り続けるレイに頷きで相槌を打ちながら、注意深く観察してみる。
 笑顔の裏に僅かに屈託が見え隠れする。しかしどんな種類かが読み取れない。レイは少々の物事には動じない性格な分、とぼけてみせるのがシンジより上手い。本音も巧みに隠してしまう。
 ダミーシステムのことを気にしているのか? だがそれなら、自分を乗せろと訴えてきそうなもの。ならば別の悩みを抱えているのか? 思い切って尋ねてみた方がいいのだろうか。こんな時、女親なら適切な対処が――


 ――女親?


「それでね、引っ越した友達から返事が来たんだけど、新しい学校で――」

 一つの想像が頭をよぎる。ユイの墓参り。今日のセカンドチルドレン。
 もしかしてレイは母のことを考えているのではないだろうか。失ってはいない、元から存在しない自分の母のことを。

「あ、ごめんなさい。疲れて帰ってきたところを引き止めちゃって」
「いや、かまわん……」

 それよりも、と続けたかったが、憶測にすぎないことをぶつけるのは躊躇われた。当たっていたとしても外れていたとしても、きっと傷つける。傷つけた以上の救いを与えられる自信がない。
 見上げてくる顔も髪もパジャマも全ての色が淡く、夜の帳には溶け込まない。
 遺伝子の掛け合わせによって生まれた人間と、己を認識しているレイ。

「……甘い物禁止期間というのは、いつまで続くのだ?」
「とりあえず今月いっぱい。……の予定だったんだけど、今度の調理実習で作るのがクッキーだから、多分その時自動的に終了ね」
「ではその後でシュークリームを買ってきてやろう。どこの店だ?」
「やだ、また太るってば。私より周りの女性職員に買っていったら? 点数急上昇間違いなしよ」

 私はいいからね、と念を押しながら店の場所と名前を教えてくれる。移転しないといいなぁ、とも呟く。
 目を合わせているうちに照れたような困ったような笑顔を作る。心配が私の表情にそのまま出ていたのかもしれない。

「じゃあ、もう寝るわね。お休みなさい」
「ああ、お休み……」

 おそらく明日目覚めてからは、いつも通りに振る舞うのだろう。
 数歩行きかけて、動こうとしない私に気付いて小首を傾げる。

「まだここにいるの?」
「たまには風に当たるのもいいだろう。お休み」
「お休みなさい」

 もう一度挨拶を交わしてレイは部屋へと戻っていく。残った私は窓に背を向け、手すりにもたれて、夜景をぼんやりと眺める。
 今日だけでまた変わった街並み。良くも悪くも私はそうすぐには変われない。どうすれば慰められるのか、どうすれば本当に喜んでもらえるのかが分からず、とりあえず御馳走の話を持ちかける――そんなことの繰り返しで、悩みの聞き役も満足に務められていない。
 事実の全ては把握していなくても、自身の出生が普通ではないことをレイは自覚している。受け入れ、乗り越えたようには見えても、普通ではないという意識は折々に鎌首をもたげ、穴を心に開けるのだろう。
 私やシンジがどれだけ努力をしても、きっと穴の全ては埋められない。冬月やリツコ君を加えても。
 リツコ君を慕ってはいてもそれは姉のような存在としてであって、母ではない。あえてレイの母を挙げるとすればリリスかユイ。勿論本人には言えない。そしてリツコ君の母はレイと――
 溜息が零れ出て風の中に混じる。



 順調に事態は推移している。使徒は倒され、被害は小さく、ダミーシステムまでもが完成をみた。
 だがそれは、所詮表面上のことにすぎないのではないだろうか。
 重大な何かを私は見落としていて、あるいは私の預かり知らぬところで何かが既に胎動していて、気付いた時にはもう取り返しがつかなくなっているのでは――そんな不安が付き纏ってならなかった。



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