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贖罪 〜彼の歩む道〜

episode 14





「……簡単に言ってくれるものだね、碇君」
「何事にも経費というものが掛かるのだよ?」

 一様に刺々しい委員達の視線。予想通りだが反応は著しく悪い。

「存じております」
「いいや、分かっていないだろう。そうでなければこんなことが言い出せるものか」
「必要性が見出せん。無駄に終わるだけだと思うね」

 説得する手間を極めて面倒に感じながら、噛んで含めるようになおも説く。

「第十二使徒がどんな能力を振るったかは御存じのことでしょう。使徒は机上の論理だけで測れる存在ではありません」
「しかしだね……」
「その使徒の持つS2機関を扱う以上、用心に用心を重ねるに越したことはないはず。4号機の実験の際は職員及び周辺住民を一時避難させ、然るのち遠隔操作で実施することを推奨させていただきます」

 エヴァへのS2機関搭載実験。高確率でどんな結果となるかを私は知っている。
 大した面識もない者達とはいえ、見殺しにするのは寝覚めが悪い。

「そんな不確かな危険に備えろと? 支部周辺の人間も含めると数千人という規模だぞ? 無茶苦茶にも程がある」
「今回の実験の成否は、以後の量産態勢にも影響します。その意味からも万全を期すべきかと」
「我々を脅すつもりかね?」

 険悪な論議は平行線を辿る。不毛さに段々と嫌気が差し、委員会の面々も私に負けず劣らず苛立ちを募らせる。互いに次の弁を練り出すべく一瞬言葉を引っ込めた時、

「――意見は出尽くしたか?」

 議長席から声が飛び、私を含めた全員が反射的にそちらを向く。注視を受けても全く動じることなく、逆に舐めるように座を見回してキール・ローレンツは再び口を開く。

「碇の提言にも一理ある。計画に狂いが生じては元も子もない。今回ばかりは支出を度外視し安全策を取りたく思うが、どうか?」
「まぁ、議長がそうおっしゃるなら……」
「何とか工面いたしましょう……」

 いかにも渋々といった様子で、しかし次々と皆がへつらう。
 ありがとうございます、と頭を下げつつも内心決して面白くはなかった。最も借りを作りたくない相手から作ってしまったことも癪に障るし、権力の差を見せ付けられたことも苦々しい。意見を容れられたことへの安堵は僅かな量だった。





「……寝覚めが悪かったからだ。それだけだ。大して安堵などしていない」

       「別に誰も責めてはいないでしょう。何回説明するの?
        慣れない善行をすると人はこうも捻くれるのね」

 公務室の机に腰掛けて窓の方を見ながら、リリスレイが言い捨てる。
 これで実験当日に何も起きなかったら私は委員会から嫌みの十や二十も貰っただろうが、幸いにも――とあえて言っておこう――4号機と第二支部施設はディラックの海の彼方へ消えたため、「いやぁ、先見性に富んだ提言だったよ、碇君」と気持ち悪いくらいに褒めちぎられた。掌返しの早い連中である。
 しかし問題はむしろこれからだった。
 失礼します、とリツコ君が入ってくる。普段以上の緊張を覚える私に対し、普段と同じきびきびとした口調で用件を告げる。

「3号機起動実験の準備は全て整いました。明日、葛城三佐立ち会いの下、松代にて執り行ってまいります」
「ああ……」

 その顔がまともに見られなかった。
 第二支部消失に恐れをなしたアメリカ側が、大慌てで押し付けてきた3号機。起動実験の段階からダミープラグを試し、成功すればダミー専用機として実戦配備する運びとなっている。
 成功すれば。

「併せて進めていたフォースチルドレン候補の選定も終了しています。明日の結果次第で直ちに本人及び保護者に連絡することが可能です」
「うむ……」
「……乗せずに済めばいいのですが」

 私の歯切れの悪さを、同級生がパイロットとなった場合のシンジやレイの心情を慮ってのものと取ったのだろう、リツコ君が憂慮を口にする。確かにそれも心配の一つではあるが……。
 リリスレイは物憂げに窓の方を見ている。無駄に終わる可能性が高いと承知しつつ、もう一度私は足掻いてみる。

「実験場の整備を先に進められないか……?」

 松代の施設は本部より耐久度で劣るため、補強ののちに起動実験を――と、3号機移送が決まった段階から主張してみせていたのだが、今度もやはりリツコ君にすげなく反対される。

「時間がかかりすぎます。慎重な姿勢が悪いとは申しませんが、S2機関を用いた先の実験ならともかく、今回は既に成功例が確認された、ダミーシステムを用いた起動実験にすぎません。いちいち周到な準備を施していては時間も予算も圧迫されてしまいます」

 彼女の言い分は正しい。だが……

「松代も安全面では充分配慮されています。少々の暴走なら問題なく抑え込めるかと」

 暴走ではない。暴走では済まないのだ。
 機体の事前チェックでは何も見つからなかった。何も起きなければいいが、おそらくは起きてしまうだろう。死地に送り込むに等しいのに、止める手立てが講じられない。

「……一緒にアメリカから来た職員達が、嫌がらせでわざと実験を失敗させるかもしれん」
「まさか。いくら何でもそんな低レベルな真似は……勘ぐりすぎです」
「ともかく充分に気を付けてくれ」

 必死さが可笑しかったのか、珍しく私の前でリツコ君は笑ったようだった。

「はい」

 澄んだ明るい声を残して、彼女は颯爽と出て行った。ドアが閉まる瞬間の後ろ姿が、残像となって焼き付く。

「……頼みがある」

       「……私には、物理的な力なんてないわよ?」

 俯き気味な姿勢のまま、リリスレイは私の考えを読み取って先回りをしてくる。

「それでもいい。明日、松代に行ってはくれないか?」

       「いいわよ……」

 後はもう、互いに何も言わなかった。















 翌日。実験開始予定時刻を過ぎて間もなく。
 松代で事故発生との報が入った。















『リツコさんとミサトさんは無事なの!?』
「現在調査中だ」

 通信からでも伝わってくるほど動揺しているシンジに、否定でも肯定でもない事実のみを伝える。ここで私まで冷静さを欠くわけにはいかない。気を引き締め直す。
 エヴァ三機の配置は既に完了。後は3号機――いや、目標の接近を待って零号機のダミーシステムを起動させ、初号機、弐号機の援護のもとに倒すだけだ。

「あらためて各機に告ぐ。目標はダミープラグによって起動中の3号機を乗っ取ったものと思われる。人は乗っていない。余計な配慮は無用だ。躊躇せず攻撃しろ」
『了解』
『……了解』

 セカンドチルドレンの明瞭な返事。噛み締めるようなシンジの返事。
 横に立つ冬月が僅かに身じろぎしたが、口に出しては何も言わなかった。

「目標接近!」

 夕空の下を、見知った機体とよく似たシルエットが歩いてくる。

「システム解放、攻撃開始」

 擬似の魂を吹き込まれた零号機が、声のない咆哮を上げて疾駆する。目標が身構えかけたところへ初号機と弐号機が銃弾を浴びせる。零号機の肩からのタックルを目標はまともに食らった。
 しかし連携が上手く作用したのはそこまでで、すぐに目標は零号機に掴み掛かり、互いに蹴り合い、殴り合い、目まぐるしく位置を変えながら格闘戦を繰り広げる。さながら二頭の獣のようで、初号機と弐号機も手を出しあぐね、パレットライフルを構えたまま援護の機会を窺う。
 殴り掛かってくる零号機の腕を、目標が身を屈めてかわす。と、地面についたその手が地中を潜り、体格的にあり得ない長さまで瞬く間に伸びて弐号機の目の前に現れた。予想外の動きに反応が間に合わなかった弐号機は首を掴まれて引きずられ、零号機を薙ぎ倒し、目標に組み敷かれる。

『惣流!!』

 駆け寄る初号機を迎え撃つべく、目標は自ら跳ね降りるが、その時には既に弐号機に打撃を与え終えていた。

「弐号機、左腕に使徒侵入! 神経節が侵されていきます!」
「左腕部切断、急げ」
「しかし神経接――」
「切断だ!」
「はい……!」

 怒鳴りつけるようにして飛ばした指示に従い、オペレーターが弐号機の左腕を根元からはじき飛ばす。痛みの信号を直に受け取ったセカンドチルドレンが耳に突き刺さる悲鳴を上げるが、侵蝕自体は免れた。起き上がった零号機が再び目標と格闘を始める。戦いの余波から弐号機を初号機が庇い、その間に回収班がセカンドチルドレンを救出した。
 元々性能の低いプロトタイプエヴァの限界か、ダミーシステムで動いているのは同じでも初号機と違って零号機は、元3号機である使徒を圧倒出来ないでいた。首を絞めようとする零号機の右腕を目標が両手で取り、関節を極める要領であらぬ方向へと曲げる。猛り狂った零号機が左手で力任せに肩の装甲を剥ぎ取る。零号機の指や目標の剥き出しの歯は既に何本かが折れていた。なまじ人型なだけに凄惨さが際立つ。
 能力がほぼ拮抗している両者の死闘を、終結へと押しやったのは第三のエヴァだった。零号機と組み合っている隙を突いて初号機が目標の背後に回り、プログナイフで袈裟斬りにする。鮮血が飛んで目標の首は苦悶で反り返り、怨念さえ感じさせる動きで後ろ向きに初号機の頭部を乱雑に掴む。逆さまになった顔で睨み据える姿はそれだけでもグロテスクで鬼気迫るものがあったが、更にその下顎に零号機が手を掛け、引きちぎってしまったから堪らない。物凄い形相に発令所のあちこちから呻き声が上がる。まして目の前で見せられたシンジはエントリープラグの中で、

『うっ……』



 ……戻した。



『うわああああああっ、助けてっ、ここから出してっ!! 父さんっ!! 誰かっ!!』
「いや、出してと言われても……」

 零号機が現在、目標のあれやこれやをぶちまけたり叩き付けたり踏み砕いたりの真っ最中なので、危険すぎて回収班を近付けられないし、エントリープラグも迂闊に射出させられない。初号機が離れてくれればいいのだが、パニックに陥っているシンジはそこまで頭が回っていない。退避の指示を出しても動けばその分プラグ内が攪拌されて地獄。どうしろと。
 助けを求めて皆を見回す。冬月……日向二尉、青葉二尉、伊吹二尉……頼む、モニターを見つめるふりをして私から目をそらさないでくれ……。
 喋れば呑み込むと気付いたか、シンジの悲鳴がふつりと途絶える。発令所内は異様に静まり返っている。頼むから誰か、私と目を合わせてくれ……。

 延々と、誰にとっても拷問のような時間が続いた末に、目標は完全に沈黙した。










 助け出されたシンジは目も虚ろな状態で、後でレイに聞いた話によると一時間以上シャワー室に篭っていたという。新たなトラウマがその心に刻まれてしまった。
 セカンドチルドレンは病院で治療を受けたがそれほど深刻なダメージはなく、その日のうちに自宅へ帰った。
 そして――



       「……二人とも命に別状はないけれど、赤木博士は肋骨を折る重傷。
        葛城三佐も腕などに裂傷を負ったわ」

 明るい知らせではないが、生きていてくれただけ良しと思えた。リリスレイは沈痛な影の差す表情で私達の作業を見守る。
 3号機に乗っていたダミーは、私と冬月とで一人目と同じ場所に葬った。



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