第十五使徒が現れた。

 ロンギヌスの槍で殲滅するよう命令した。

 そんなことを即断するなと冬月に一喝された。





贖罪 〜彼の歩む道〜

episode 17





「では聞くが、衛星軌道上の敵を確実に倒せるだけの攻撃手段が他にあるのか?」

 うっ、と言葉に詰まる冬月。零号機と弐号機の修理こそ完了しているが、ライフルやプログナイフといった武器では、通用する、しない以前の問題であることは誰の目にも明白だ。

「……超長距離狙撃を仕掛けるとか……」

 苦しげに、本人も自信がないだろう策を口に上せる。

「攻撃が無事届き、更にATフィールドも突破出来ればいいな」
「空輸して少しでも近い位置から撃つとか……」
「途中で攻撃されなければいいな」
「しかしアダムとエヴァの接触はサードインパクトを引き起こす可能性があります! とても賛成出来ません!」

 冬月以上に色をなして反対してきたのは葛城君だった。実際にはあれはアダムではなく、彼女の危惧は杞憂なのだが、まさかそうも答えられないので「心配ない、手は講じられる」ともっともらしい言葉でいなす。

「では試しに、各案の成功確率をMAGIに算出させてみるか。赤木博士、頼む」

 とことん性格が悪いわね、この男――と醒めた表情で語りつつ計算を始めるリツコ君。そうしたことをはっきりと口に出して言ってきそうなリリスレイは、この場にはいなかった。間違いなく、朝から全世界規模で話題持ちきりな某国王子の結婚式を見に行っている。使徒が現れたと知れば急いで戻ってくるだろうが、間に合うかどうかは不明だ。そもそも移動手段や移動速度がよく分からん。
 程なくMAGIが数字をはじき出した。超長距離狙撃策、空輸策の成功確率はそれぞれ微々たるもの。対してロンギヌスの槍での殲滅策は95%を超えた。

「決まりだな。零号機にレイを乗せてドグマへ向かわせろ」
「どうなっても知らんぞ……」

 冬月の負け惜しみは多数派意見だったかもしれないが、ともあれ搭乗準備が始められた。
 隣でいつまでも不本意そうな顔をされているのも鬱陶しいので、気にするなと一声掛けた後、声を潜めて続ける。

「……どうせいずれは捨てる予定だった物だ」

 ゼーレの思惑を阻むためには、補完計画遂行に必要な事物は排除しておいた方が都合がいい。そのことは冬月も百も承知のはず。そう思ったのだが、

「先にこちらが排除されかねんぞ? 残る使徒は少ない上にエヴァの量産も進んでいる。連中にとって我々の利用価値は低下する一方だ。万一子供達にまで累が及んだら……」

 指摘された可能性に一抹の不安を覚える。未だ初号機の内部にいるシンジも含めて、こちらも脆い部分は大量に抱えているのだ。前倒しで強硬手段に踏み切られた場合、無事に乗り切る自信は現時点ではない。しかし今こそ好機であることも事実。
 冬月もまた軽い溜息とともに気持ちを切り替えたか、利点を認めた。

「……まぁ、確かに宇宙空間に投棄すれば、回収される恐れは極めて低いな」

 やはりこの作戦で行くしかない。
 問題は手順だ。正確性が必要なためダミーシステムではなくパイロットに行わせたいところだが、どう役割を振るか。
 ダミー零号機を囮としてまず射出し、目標の注意を引き付けてから弐号機に槍を投擲させるか? だがあの使徒は精神に干渉してくるタイプ。零号機に人の心が入っていないと気付けば、すぐさま攻撃対象を弐号機に移すかもしれない。そうなってから慌ててレイを乗せ直すのでは余計な時間を費やしてしまう。
 同様のことに葛城君も思案を巡らせていたらしく、顔を半分だけこちらに向けて問い掛けてくる。

「ロンギヌスの槍は、零号機にそのまま使用させますか?」
「そうだな……」

 肯定とも否定ともつかない生返事になった。零号機はメインシャフトへと運ばれていくところである。
 さて、どうするか……

「弐号機を囮に使ってはどうです?」

 しん……と場が静まり返った。エヴァの移動作業の指示や目標の観測に当たっていたオペレーターも、職務を忘れて愕然と振り向く。
 射るような眼光で私を見据えたまま、底冷えのする声で葛城君は続ける。

「確実性をお求めでしたら、そこまでなさればよろしいではありませんか」
「葛城三佐っ!」

 咎めるというより引き止めるような語勢でリツコ君に制されて、やや我に返ったのか「……申し訳ありません」と小声で謝罪し、顔を横へ向けた。
 気まずい空気が充満する。パイロットの耳にまでは入らなかっただろうことが救いだ。滞りなく零号機はセントラルドグマの降下に移っている。

「……槍を持って戻ってきたら、弐号機と同時に出撃させろ」

 二機同時なら片方は攻撃から逃れられるはず。無事な方が直ちに槍を投擲すれば被害は最小限に抑えられるだろう。……そう方針を定めたことに、先程放たれた言が小さからず影を落としていることは否定しない。
 配置場所の選定、投擲軌道の計算などが進む。零号機が戻ってきた頃には、必要な準備は全て終了していた。
 二機のエヴァが射出され、同時に地上へ姿を現す。弐号機がポジトロンライフルを、零号機がロンギヌスの槍をそれぞれ構えた。機械とオペレーターの補助のもと、攻撃態勢が整えられていく。
 そして今まさに仕掛けようとしたその時、眩い光輝が突如生じた。遥か上空より降り注いだそれに包まれた直後、聞く者の肌が粟立つような金属的な悲鳴が上がる。
 ――レイの口から。

「アスカ!!」
『分かってるわよっ!』

 光線の分析が急ぎ行われる中、葛城君の鋭い声が飛び、ポジトロンライフルをかなぐり捨てた弐号機が猛然と走る。零号機が力を振り絞り、光の外へと槍を放った。弐号機の両手がそれを掴み上げる。

「弐号機、投擲体勢!」
「目標確認! 誤差修正よし!」
「カウントダウン、入ります! 十秒前!」

 一秒ごとに減っていく数字。ゼロに到達すると同時に弐号機が助走をつけて振りかぶる。
 気合の声とともに投擲されたロンギヌスの槍。雲を貫き、空を駆け上がり、目標を粉砕してなお留まることなく、月の傍らまで一直線に飛び去った。





 レイは大事には至らなかった。心理攻撃に晒された時間が短かったため、受けた負荷は比較的軽度で済んだのだ。
 とはいえ攻撃を受けたのが心なだけに、数値化出来ない傷が案じられ、検査が終わったと聞くや急いで病室へ駆け付けた。

「レイ、大丈夫か? 私達が分かるか?」

 ぼんやりとした面持ちで枕元の私を、その隣にいるリツコ君を順に眺めて小さく頷く。正気の色は保っているが、熱に浮かされた時の状態に似た倦怠感を濃く滲ませていた。出てきた声も細い。

「……嫌なものを……見たの……」
「嫌なもの?」
「たくさんの……私……」

 思わず私とリツコ君が息を詰める。
 そうした様子には気付かず――いや、私達の存在自体が半ば意識から抜け落ちているのか――レイは焦点の定まらない視線を天井へ向けて、うわ言のように呟く。

「私がたくさん……小さい私も……みんな、笑ってた……嫌な……悲しい笑い方……」
「レイ、もういいわ、喋らないで」

 語り口自体は淡々としていたが、その瞳に涙が滲み始めるに至り、堪らずリツコ君が腕を押さえて止める。私ももう聞きたくなかったのだが、「……でもね」と継がれた声は一転して穏やかだった。

「最後の私……あの私だけは違ったの……優しそうに笑ってた……」

 閉じた目から涙が伝い落ち、茫洋としていた表情が変わる。

「大丈夫よ、って……包んでくれるみたいだった……」

 安心しきった顔だった。初めて見るのではと思うくらいの、無防備な安らいだ顔だった。母の腕に抱かれた赤子のような――。
 ――その“私”はお前の十万分の一も可愛げがなくて、毒舌家な上にゴシップ好きで、純粋無垢とも純情可憐とも天真爛漫とも温厚篤実ともまるで懸け離れていて、おまけに文才もくじ運も持ち合わせていない奴かもしれないぞ?
 と言ってやりたい気もしたがやめておいた。ベッドの向こうから当人が睨み付けてきているし、何よりレイの夢を壊してはいかん。
 レイがそのまま眠りに就いたので、私とリツコ君は病室を後にした。廊下は夕焼けに彩られていた。私の少し後ろを歩きながらリツコ君が、先程の遣り取りから得た所感を述べる。

「おそらくは使徒の接触によって深層意識が掘り起こされたため……。ですが事実として認識するには至っていないでしょう。どこまでが現実の出来事と結び付いているのか、自身は把握出来ていないものと思われます」
「夢か現か幻か……、というところか」
「はい。もたらされた感情も苦痛や恐怖だけではないようですし、治療を施し、あれは使徒が見せた幻覚だったという方向へ誘導すれば精神を安定させられるでしょう。戦闘記録も適宜書き換えておきます」

 見方によっては、レイの記憶も都合よく書き換えるに等しい。だがダミー達の存在は隠し通すと決めた以上、嘘を貫き通さなければいけない。

「ひとまず三日ほど入院させて様子を見ます」
「頼む」

 レイに関する協議が終わると途端に話が途切れた。彼女と二人では会話が弾まないのはいつものことだが、今回は少し事情が異なる。私からは下手に水を向けないでおいた。やがて喉に引っ掛かりながら出てきたような声が後方より掛かる。

「……葛城三佐のことですが」
「ああ」
「前後を見失ってしまったのでしょう」
「私も、彼女がパイロットを軽視しているとは思っていない」

 あれは私への不信感の発露だ。
 溢れ出した敵意が挑発となって口をついたのだ。

「あの男の失踪事件も影響しているのだろう」
「上辺では平静を装っていましたが、無理をしていることは明らかでしたから。――それで」
「君が気遣ってやってくれ」

 声が硬度を増す前に遮った私に、瞬間、彼女がどんな表情を向けたのかは定かでないが、

「……はい」

 その一言には安堵の息が含まれていた。





 葛城君と顔を合わせる機会は翌日以降も幾度となく発生した。しかし彼女が再び激情を覗かせることはなかった。鋼鉄の壁を思わせる双眸で、懸念や歩み寄りの一切を撥ね付けるだけだった。
 仕事には従来通り取り組んでいるが、ムードメーカー的な役割も果たしたその快活さは影を潜めてしまい、周囲の人間との間に微妙な隔たりが生じている。元気を取り戻して退院出来たレイも、同居人であるセカンドチルドレンも、接しあぐねている様子が見受けられた。二人は加持リョウジの失踪さえ知らないはずだから無理もない。
 一方でサルベージの準備は着々と進んだ。公私共にリツコ君は気苦労が絶えなかっただろうが、精力的に勤しんでくれた。

 やがて迎えた決行当日。
 服と靴だけが漂っていたLCLが、一個の人間の姿を形作った。





 このところ病院に出入りを繰り返してばかりな気がする。今回の理由は喜ばしいと言っていいものだが。
 サルベージよりほぼ丸一日を経てようやく入った、シンジの意識が戻ったとの知らせ。早速レイと二人で病室へ赴くと、枕元には既に当たり前のようにリリスレイが控えていた。そしてベッドの上から私達を出迎えたのは困惑顔。

「……一ヶ月以上も経ってるの……?」
「うむ」
「出席日数は先生方が配慮してくださるそうだから大丈夫よ」
「そういう問題じゃないよ……」

 額を押さえて呻吟する様に、ころころとレイが朗らかな声を上げる。リリスレイの口元も優しい弧を描いている。
 在るべき場所にようやく落ち着いた、そんな感慨が湧いてくる。

「とにかく。お帰りなさい、シンジ」

 茶目っ気をふんだんに盛り込んだ満面の笑みがそう言えば、こちらもくすぐったそうな笑顔を返す。

「……ただいま」



 多少の記憶の混濁以外は心身に異常が見られず、またその唯一の問題も、置かれていた状況を鑑みればむしろ自然とさえいえる範囲だったため、幾日もしないうちにシンジは退院を迎えられた。一種のショック療法的な効果があったのか、食欲も戻ったというので――オレンジジュースやエビのチリソースや雑炊などはまだ見ないでおきたいと自己申告したが――レイが腕によりを掛けて作った御馳走で退院を祝う。
 自宅で三人揃って食卓を囲むのはおよそ二ヶ月ぶり。明日は冬月やリツコ君も交えて食べようという話になった。面子が面子だけに、場所は時間のかからないネルフ本部内のどこかとなりそうなのが悲しいところだが。いっそ公務室で卓袱台を囲むか。
 食べながら、シンジが当時のことを語ってくれた。

「……お願いだから動いて、力を貸して、って必死に母さんに呼び掛けたんだ。その後どうなったのかがよく思い出せないんだけど……ずっと夢を見ていたような……でも初号機の中にいたってことは、全部が全部夢なわけじゃないのかも……」

 神妙な面持ちでいたのが急に、私を見つめて含み笑いを始める。

「……何だ?」
「僕の記憶なのか母さんの記憶なのかは分からないけどさ」

 そう前置きして言うには、

「産まれたばかりの頃の二人の会話を聞いたんだ。……僕の名前、父さんが付けたんだね。レイも」
「そうなの?」
「……そうだったか?」
「そうだよ」

 レイにまで食い付かれたので咄嗟にそらとぼけてみせたが、あっさり駄目を押されてしまう。

「前に聞いた時は、付けたのは母さんだから由来は知らないって言ってたくせに」
「別にやましい理由からではないぞ」
「本当に? 初恋の人の名前だったりしない?」
「違う、ただ何となく恥ずかしくてだな……」

       「行き付けの店のホステスの名ね」

 お前は分かっていて言うなっ!!
 からかっているとも本気ともつかない追及がしばらく続いたが、余計に照れくさくなった私があくまで誤魔化し続けたため、苦笑いしてシンジが矛を収める。

「母さんの顔はやっぱりよく分からなかったけど……でもいいや。大事に思ってくれていたことは分かったし」

 今も思い出せる。ユイの声、姿、眩しかった日差し。
 あの小さかった赤ん坊が、十四歳。

「いつか、由来を教えてよ?」
「……いつかな」





 その夜、夢を見た。
 夕暮れの湖畔で三、四歳くらいの子供二人が、両側から女性の腕を取って甘えている。
 子供はシンジとレイ。女性は――母だった。とうの昔に死んだ、私自身の。
 良い記憶のほとんどない母が、会ったことのない子供達に優しく微笑み掛けている。長く伸びた影は一つに繋がり、地面の上でくるくると踊る。私は離れた場所からそれを見ている。不思議な情景。
 ふと、誰かがいると感じて振り向いた。

 今のシンジやレイと同じ年頃の葛城君が、暗い目をして佇んでいた。



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