第十七使徒は消えた。
 目論見通りに事は運んだ。

 ただ一つの誤算を除いて。





「よくそんなことが言えるね、父さん!?」

 シンジが憤怒の形相で詰め寄ってくる。
 レイが困り顔で私とシンジを交互に見遣る。
 リリスレイは遠い目で虚空を見つめている。
 あぁ、頭が重い……。

 昨日からの出来事が思い返されていく。その一方で繰り返し自問する。
 何故――何故私が――と。





贖罪 〜彼の歩む道〜

episode 19





「やあ、リリスレイ」

 着任後すぐに公務室へと来させた新たなチルドレンが、失礼します、の次に吐いた台詞がこれだった。

       「元気そうね」

「見えるのか――?」

 口にした直後、愚問だったと気付く。見えるからリリスレイと呼んでいるのだし、この子供の正体を思えば別段驚くことでもない。問い質すべきは、私の知らないうちに既に二人が知己の間柄であったことだ。

       「いちいち報告する義務はないもの。ちなみに話はもう付けてあるから」

「手回しのいいことだな……」

 私の脇で机にもたれるようにしているリリスレイに皮肉を放ち、正面に立つ者へとあらためて向き直る。澄ました笑顔ごと上から下まで眺め回した。
 委員会が送り込んできた新たなパイロット候補、そして最後の使徒たる者。フォースチルドレン――通称フィフスチルドレン。

       「ややこしいわよ」

「順番的にはそうなったとはいえ、フォースと呼ぶのはしっくりこないのだ」
「普通に名前で呼ぶという選択肢はないんですね」

 しかし委員会にしても、現行パイロットは三人とも健在で、逆にエヴァは零号機を欠いて二機になっているというこの状況下で、よく臆面もなくチルドレン増員など言い出せたものだ。無理がありすぎると誰か止めなかったのか。

「それで? 我々の側に協力するというのは事実か?」
「はい。僕は別にサードインパクトや人類の補完を望んでいるわけではないですし。ヒトと共存出来るならそれを望みます」
「信用していいのだろうな?」
「嘘などついていませんよ。リリスとともに時と空を越えしアダムの名にかけて」

 真っ向から視線がかち合った。含みありげにフィフスチルドレンは笑みを深める。横目でリリスレイを見遣ると、わざとらしく素知らぬ顔を決め込んでいた。……そういうことか。
 かつてリリスとアダムは融合した。だからアダムもまたこの世界へ来ていたところでおかしくはない。
 それを今の今まで黙っていられたことは面白くなかったが。

「それでもまだ信用出来ないのでしたら、副司令が御無事でよかったですね、とも申し上げておきましょうか?」
「あれはお前が手を回したのか。……まぁいい、味方であることは信じよう。だが対外的には使徒は殲滅されてもらわねば困る」

 どう処理したものか。
 確かこいつは、発令所の各種モニターを無効化出来るほどのATフィールドを発生させられるはず。ならばパイロットと口裏を合わせさえすれば、容易に隠蔽工作を進められるが――

       「碇君を引き込むのは不安だわ……」

「あいつは隠し事をするのが下手だからな……。レイならその点ポーカーフェイスを貫けるだろうが、シンジを差し置いて初号機に乗せる理由付けが難しい」
「あからさまに手を抜くと怪しまれますから、最低限、弐号機はお借りしたいですし……」

 さすがにすぐには良い案が浮かばない。着任挨拶という名目で呼び付けたフィフスチルドレンを長い間留まらせては不審がられるため、ひとまず下がらせることにした。以後はリリスレイを使って連絡を取れば、見咎められずに済む。

「シンクロテスト等のスケジュールは全て明日以降に回してある。とにかく今日はおとなしく引き篭っていろ。シンジ達には決して近付くな」
「分かっています。僕だって不必要に彼らの心を乱したくはありません」
「長引かせるつもりはない。明日の午前中には殲滅されるものと心得ておけ」
「了解しました」

 気障ったらしい仕草で会釈し、退室しようという姿からは早々に視線を外して、作戦の立案にかかる。何とかしてレイを初号機に乗せるか……いや、初号機に拒絶されたら終わりだ。となると……
 「あ」と突然上がった声にドアの方へ目を遣り、私とリリスレイもまた「あ」と同様に間の抜けた声を発した。
 ――開いたドアの向こうにシンジが立っていた。思いがけない邂逅で固まっているフィフスチルドレンを、目を瞬かせながらまじまじと見つめている。

「シンジ!? 何故このタイミングでここにいる!?」

 慌てふためいて駆け寄る私の背中から、嫌な汗が滲み出る。

「いや、父さんのハンコを貰おうと……それより、もしかしなくても新しいチルドレンの人? だよね?」
「うん、渚カヲル……よろしくね、碇シンジ君……」
「何で僕の名前を? って、今父さんが呼んだか」

 あはは、と屈託のない笑顔が向けられ、フィフスチルドレンもあちこち引きつらせながら辛うじて笑みを構築する。私は一体どんな顔になっているだろう。

「嬉しいなぁ、仲間が来てくれて。あ、ごめん、勝手に喜んじゃって。こんな時に来るなんて大変なのに。あのさ、困ったことがあったら何でも言ってよ? 力になるから」
「うん、ありがとう……」
「それよりハンコは!? ハンコが必要なのだろう!?」
「あ、そうだった。学校から書類が送られてきてさ。ほら、壱中は閉鎖になったけど、僕らは転校も何もしてないでしょ? それで色々手続きがいるみたいで。レイの分も持ってきたから。あと、ついでだからって途中で総務の人から預かってきた物も……」
「分かった、全部寄越せ!」

 引ったくるようにして奪い、ダッシュで机に舞い戻ってハンコを押す。くっ、なかなかに数が多い。うっ、位置がずれた。
 私が苦闘する間もシンジは和やかにフィフスチルドレンに話し掛けていた。「渚も中二? ……えっ、十五歳? うわ、ごめんなさい、馴れ馴れしい口を利いちゃって……」「いや、敬語は使わなくていいよ……カヲルでかまわないし……」「じゃあ、カヲル君で。いい人だね、カヲル君って。今まではどこで暮らしてたの?」……やめろ、余計な会話はするな、シンジっ!

「ほら、全部ついたぞ! 持っていけ!」
「あ、うん、ありがとう。カヲル君はこの後の予定どうなってるの? よかったら本部の中を案内しようか?」
「それには及ばん! 私が案内する!」
「そうなの? 面倒くさがりの父さんが珍しい。じゃあ僕は行くけど、何かあったら――」
「早く行けいっ!」
「分かったよ……。じゃあね、カヲル君。よかったら明日、一緒にお昼食べようよ。レイや惣流にも――あ、他のチルドレンなんだけどさ――声を掛けておくから」
「うん、色々とありがとう……」

 爽やかに手を振って去っていくシンジ。その後ろ姿を三人で呆然と見送る。ドアが閉まってもしばらく沈黙が続く。果たして何を喋ればいいのか。

「……実に親切で気立てのいい少年という感じですね……」
「そうだろう、私の自慢の息子だ……」

       「この父の下で、よくあんな真っ直ぐな性格に育ったものだわ……」


 間。


「……何とかしろ」
「どうしろと……」

       「性格の良さが裏目に出たわね……」








 翌日、第十七使徒は消滅した。







「……じさま、おじさま、大丈夫?」
「ん……? ああ……」

 いかん、座ったまま意識が飛んでいたらしい。心配げにレイが横から私を覗き込んでいる。その姿が何やら二人に分裂する。机の端に腰掛けて知らん顔を決め込んでいるリリスレイも二人。合計四人。レイ尽くし。
 ええと、何をしていたのだったか……ここは公務室で、私とレイとリリスレイしかいなくて……そうだ、全部無事に済んだとレイが報告しに来てくれていたのだった。思い返しているうちに、二人とも一人ずつの姿に見えるようになってきた。

「栄養ドリンク、一晩で二本も飲んだのね……」
「いや、三本……」
「そんなに!? 具合悪くもなるわよ……。早く医務室に行きましょうよ」
「今行くと、一体何をしていたのかと詮索される……」

 「詮索」が「すぇんすぁく」のような発音になっていた気がするが、ともあれ下手を打っては、完徹の苦労が無駄になってしまう。もう少しだけ耐えねば。しかしそもそも、何故私がこんな苦労を……。

「じゃあ、今のうちにここで少し寝たら? 布団……はないのよね、さすがに。床よりは机に突っ伏して寝た方がマシかしら。片付けるからちょっと待ってて」
「すまんな、レイ……」

       「中年だから栄養ドリンク一本だけじゃ間に合わなくて、
        反動に耐えられるほどの体力もないのね。中年だから」

 お前は黙っていろ。
 机に載っている書類をレイが脇に寄せていく。一番上に載っているのは、レイが来るまで何とか読み進める努力をしていたもの。第十七使徒の顛末に関する、シンジの供述調書。

 ――使徒は弐号機を操り、ターミナルドグマへの侵攻を遂げる。しかし追撃してきた初号機に対し、人類に未来を譲る旨を告げ、自ら爆散して果てた。

 公式記録にはそんな内容で記載されるだろう。シンジが受け止め、報告した事実そのままに。
 現時点では大きな綻びは見当たらない。真実は隠し通せそうだ。

 発光装置と爆薬による爆発でした――という真実は。

 発令所からはモニター出来ない状況下なら、その程度でも誤魔化しは利く。要はシンジにさえ、使徒は自爆したと思い込ませられればいいのだ。そして実際、思い込んでくれたようだ。
 事前に仕掛けておいた装置による閃光と爆音でシンジが惑わされている間に、フィフスチルドレンはATフィールドもパターン青の反応も消して物陰に身を隠す。これで“使徒”は“消滅”。後はリリスレイの誘導の下、ドグマ内を移動し、潜伏。以上が、私が昨日立案した作戦の概要だった。
 ダミー達は葬ってしまっている。もはや地下で行われるべき作業はなく、見つかる恐れは低い。作戦遂行に当たって問題となった部分はそこではなかった。

 問題の一つ目。装置を仕掛けた現場で待機し、フィフスチルドレンの演技に合わせてタイミングよく起爆させる発破役が必要だということ。
 事情を明かして協力を求めるのは大きな賭けであり、相手はよほど信の置ける人物でなければならなかった。加えて、秘密を守り通せるだけのしたたかさも備えていて、戦闘時に姿を見せなくても不自然ではなく、ターミナルドグマにも精通している、そんな人物――
 レイ以上の適任者はいなかった。

「使徒とはいえ人と変わりのない心を持っている。時間を稼ぎ、共存の道を探ってみたいのだ。力を貸してくれないか?」
「……分かった。やれるだけやってみないとね。責任重大だけど頑張りましょ、おじさま」

 おそらくは自身の出生も重ねてしまっただろうレイ。学友に去られた寂しさを募らせる中、同年代の姿形をした者を死なせるのは忍びなかっただろうレイ。いじらしい笑顔で承知してくれた、その時の心情を思うと胸が痛む。心にもないことを並べ立てて説得してしまった罪悪感に、胃が痛む。ともあれ一つ目の問題はこうして解決出来たのだった。
 二つ目も難解かつ重大な問題だった。即ち、発光装置と爆薬を誰がどうやって設置するか。
 アクション映画の特殊効果班並みの、手間を要する作業。しかも一晩で終わらせなければならない。人手が欲しいところだったが、子供であるフィフスチルドレンやレイを夜中に出歩かせてはすぐに不審を招くため、二人は作業要員から除外した。冬月は各所に指示を飛ばして委員会の真意を探ろうとしており、このまま続けさせた方がゼーレへの目くらましとしては機能しそうだったので、冬月の協力を仰ぐという選択は消去した。リツコ君はフィフスチルドレンのシンクロテスト等の準備で忙しく、秘密裏に話し合いを持とうとすること自体諦めざるを得なかった。シンジやセカンドチルドレンや一般職員の動員は論外。リリスレイは役に立たない。他に助力を頼めそうな者はいなかった。ということは――
 アクション映画の特殊効果班並みの作業を、一晩で、私一人でやるしかない。
 達した結論に絶望し、私は膝から崩れ落ちたのだった……。

「一晩で……一人で……それでも成し遂げた自分を褒めてやりたい……」
「うん、頑張ったわね。本当にお疲れさま。立派に爆発してくれたから」

 時間がなくて最低限の打ち合わせしか出来なかったが、レイは胆の据わった子だ、絶妙のタイミングで装置を起動させてくれたことだろう。作業服、ヘルメット、ゴーグル、防塵マスクという発破姿で。滅多に見られない格好だから見ておきたかった。

「血糊がやけにリアルだったけど……肉片も交じっていたような……」
「信憑性を出すために生体部品を少々……」

 我ながら涙ぐましい努力の果てに朝を迎えても、私の仕事は終わらなかった。舞台裏から舞台上に移らなければならなかった分、余計に過酷だったともいえる。
 充血しきった目と憔悴しきった顔をサングラスの奥にひた隠して出勤し、準備が整ったことをリリスレイが伝えに行って程なく使徒が出現すると、フィフス……ではない、フォースチルドレンが使徒だったとは驚いた、老人は予定を一つ繰り上げるつもりらしいな、という演技を全うした。眠りこけそうになるのを必死にこらえて、緊迫した遣り取りを繰り広げる皆に何とか調子を合わせた。本部自爆を阻止するために、「シンジを信じろ」という禁断の一言さえ口にした。

       「さぞ極寒の視線が突き刺さったでしょうね」

「極寒どころではなく……いや、思い出したくない……」
「おじさま、うわ言を言っちゃってるわよ。本当にもう寝た方が――」

 その時だった。シンジまでもが公務室に現れたのは。
 思わず立ち上がり、椅子を盾にする形で後ずさる。うっ、立ちくらみが……。レイが緊張で身を固くする。先程まで傍観者然と構えていたリリスレイが、咄嗟にレイを庇うようにしてその前に立ち、両手を広げる。
 それくらい、近付いてくるシンジの力ない足取りと面持ちは幽鬼めいていた。

「父さん……」
「うむ……」

 ゴクリと喉を鳴らして唾を呑み込む。椅子を挟んで悲愴な顔と向き合うが、刺激されるのは庇護欲ではなく専ら防衛本能だった。

「何で……こんなことになっちゃったんだろ……何でカヲル君が使徒で……他に方法はなかったのかな……僕……説得出来なかったのかな……」
「いや、シンジ……」

 元から説得など無意味だったぞ、と心の中で呟く。

「思えばさ、カヲル君……無理して笑っていた気がするんだ……。昨日の時点でちゃんとそれに気付いていたら、もしかしたら話し合いで何とか出来たかもしれない……言葉の通じる相手だったんだから……なのに僕……」
「シンジ……」

 あいつの顔が引きつっていたのはお前と会ったせいだ、と心の中で呟く。昨日少し話しただけの相手に対してここまで責任を感じて悔やむとは、どこまでいい子に育ったのだ、お前は。

「僕……もっと何か出来なかったのかな……」
「あいつのことなど気にするな。……ん? どうした、レイ? ……あ」

 レイに強く袖を引かれ、焦り顔で激しく首を振られたことで、遅まきながら悟る。
 失言……した。
 恐る恐るシンジを窺うと、幽鬼から一転、憤怒の鬼へ変貌していく真っ最中だった。

「シンジ、今のは……」

 概ね本音ではあるが、そのまま正直に口にするつもりはなくて、疲れているせいでオブラートに包み損ねただけで……

「所詮は使徒――そう言いたいの?」

 低い、抑えが利いているがゆえに凄みのある声とともにジリジリと回り込んでこられ、椅子を掴んだまま私は逆方向へ回って逃げる。

「死んで当然――そうとでも言いたいの?」
「シンジ、おじさまはそんな――」
「父さんはあの最期を見てないからそんなことが言えるんだ! カヲル君がどんな気持ちで……どんな……!」

 取り成そうとするレイを手で押しのけてまで詰め寄ってくる。『あの最期』と言われても……。

「シンジ、落ち着いて。おじさまだって彼個人を憎んでのことじゃないんだから」
「だからって言っていいことと悪いことがあるよ!」

 何故私がシンジに責められなければ……あの使徒が憎い……!

「父さんだってカヲル君に親切にしていたのに、よく平気で冷たいことが言えるね!?」
「別に親切には……」
「またそうやって言い訳する!」
「またとは何だ!?」

 いかん、怒鳴り返した拍子に脳内の酸素が一気に減った。椅子を支えに、何とか持ちこたえる。
 対峙する私とシンジを、レイは困り顔で交互に見遣る。お前も苦しい立場に置いてしまったな。
 リリスレイは遠い目で虚空を見つめている。そもそもお前が使徒のことを黙っていたのが……。
 現実逃避か、はたまた走馬灯か。昨日からの出来事が思い返されていく。二十四時間ばかりの間に色々ありすぎた。挙句の果てがシンジの激高。昨日遭遇させてしまったのは大きな誤算だったとはいえ、何故こんなことに……こんな……

「……もういい、どうでもいい、全部ぶちまける。いいかシンジ、実は――」
「聞きたくないよっ! 父さんはいつも――」
「人の話を聞けい!!」

 「あ」と、レイとリリスレイが異口同音に唱える。
 ……右手に残る感触。演者が演壇に手を振り下ろすような調子で、手を動かそうとしただけのつもりだった。たまたまシンジが身を乗り出し気味だったり、私の遠近感が少しおかしかったり、自制心の働きがやや鈍くなっていたりしただけで、要するに不慮の事故であるのだが結果的に……
 シンジを殴り付けていた。
 その体勢のまま固まってしまった私に対し、シンジがショックから抜け出すのはあまり時間がかからなかった。キッと睨み上げるや、

「父さんのバカヤローーーッ!!」

 全力で椅子を押して私を跳ね飛ばし、公務室を駆け出ていった。
 ああ……あああ……あああああああ……





「お前のせいだぁっ!!」
「それは災難でしたねぇ……でも疲れていて体調もおかしいというなら、家に帰るなり医務室に行くなりしてくださいよ、ターミナルドグマまで来て絡み酒なんかしていないで。僕、未成年なんですが」
「うるさい、黙れ、魂年齢で申告しろ。何故私がお前などのせいでこんな目に……」
「せっかくなので僕からも言わせていただきますと、アダムをホルマリン漬けにするなんてあんまりではないですか? 人の体を何だと思っているんですか」
「標本に紛れさせて隠したまでだ。ベークライトから出してやっただけありがたいと思え」
「ベークライトの方がマシですよ! かわいそうにアダム、すっかり匂いが染み付いて……」



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